つれづれなるままにWINGSFAN
Tribute Vlog for Wings Greatest 40th anniversary
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イベント
2/18 12:00 ビートルズのチカラ! 東北「復興」ツアーライブ
2/18 12:30 ビートルズ・アナログ鑑賞会 Vol.17 スペシャル企画
2/23 19:30 本人が語るアナログ盤NIGHT vol.3 小原礼が語るアルバム“黒船 / Sadistic Mika Band”
2/25 15:00 青猫書房 モノラル・レコードを聴く会 ビートルズのリアルタイムの音を聴く
2/25 18:30 レコスケと祝おう ~ ジョージ・ハリスン生誕祭 2018
2/27~3/29 本秀康展「ロックとマンガ」
3/10 13:00 ビートルズ・アルバム・ヒストリー 1966-1970 「リボルバー」から「レット・イット・ビー」まで
3/11 17:00 藤本国彦プロデュース ビートルズの世界 Around The Beatles トーク・イベント
3/11まで ジョージ・ハリスン アイ・ミー・マイン展
3/11まで ロックの殿堂ジャパンミュージアム
4/8 FOOL On The HOLIDAY
4/8まで ONTEN ~LOVE + ROCK ビートルズ × 忌野清志郎~
4/24~5/5 Lennon's Banjo 英国

本 , 雑誌 , ムック
2/22 ビートルズ作品読解ガイド (POD版)
2/24まで The Beatles 音源徹底分析(一部内容) 無料ダウンロード
2/26 麗しき70年代ロック・スター伝説 8ビートギャグ リターンズ (ビートルズ・ネタ掲載)
3/6 MUSIC LIFE ジョンとヨーコのバラッド
3/9 ジョン・レノンの流儀(仮) 1964-1980 対話録
3/12 ウェルカム! ビートルズ 1966年の武道館公演を成功させたビジネスマンたち
3/19 ヒプノシス全作品集
年内 ジョン・レノン Imagine
年内 The Beatles: Yellow Submarine

CD
2/23 Concert For George Deluxe Box Set + Test Pressings US盤
2/23 Concert For George Exclusive Deluxe Edition US盤
2/23 コンサート・フォー・ジョージ 輸入盤・限定盤 2CD+2Blu-ray
2/23 コンサート・フォー・ジョージ 輸入盤 2CD+2DVD
2/23 コンサート・フォー・ジョージ 輸入盤 2CD
2/28 ビートルズ ザ・コンプリート・スタークラブ・テープス1962
3/28 グレープフルーツ イエスタデイズ・サンシャイン ロンドン・セッションズ 67-68
年内 ジョン・レノン Imagine (拡張盤)
年内 ヨーコ・オノ ストーリー , シーズン・オブ・グラス , イッツ・オールライト , スターピース , 未完成作品第3番 ウェディング・アルバム

アナログ盤
2/23 コンサート・フォー・ジョージ 輸入盤・限定盤 4LP
2/23 ラングレイ・スクール・ミュージック・プロジェクト The Langley Schools Music Project US盤
年内 ジョン・レノン Imagine (拡張盤)
年内 ヨーコ・オノ ストーリー , シーズン・オブ・グラス , イッツ・オールライト , スターピース , 未完成作品第3番 ウェディング・アルバム

Blu-ray , DVD
2/23 Concert For George US盤 2CD+2Blu-ray
2/23 Concert For George US盤 2CD+2DVD
3/28 演劇女子部 一枚のチケット ~ビートルズがやってくる~

グッズ
3/31 ビニールフィギュア ジョン・レノン、ポール・マッカートニー、ジョージ・ハリスン、リンゴ・スター、イエロー・サブマリン

映画
5月 犬ヶ島 (オノ・ヨーコ声優参加)
7/8 イエローサブマリン <新デジタル・リマスター版>
秋 ビートルズ The Beatles in India
年内 ポール・マッカートニー High In The Clouds
年内 A Life In The Day


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ポール・マッカートニー&ウイングス
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情報などを毎日掲載しています。 

wingsfan@wingsfan.net


ビートルズ来日時の日本航空・客室乗務員の制服
日本航空(JAL)客室乗務員が昭和35年8月から着用した3代目制服
日本航空(JAL)客室乗務員が昭和35年8月から着用した3代目制服。
昭和29年2月から着用した2代目のデザインを踏襲したものの、金色のボタンとW型のブラウス襟が特徴だった。

胸元の翼マークの胸章(2代目)
胸元の翼マークの胸章(2代目)。2代目から引き続き、3代目にも継承された。

2代目の帽子
2代目の帽子。鳥をモチーフにした帽章が付いた。

3代目の帽子
3代目の帽子。帽子は一時期を除き2代目を使用した。ビートルズ来日時は...どっち?

昭和26年設立の日本航空(JAL)は昭和28年に国が半額出資する特殊法人として生まれ変わり、ナショナルフラッグキャリアとなった。戦後禁じられていた日本の航空会社による国際航空業務が開始され、翌29年2月2日、同社のホノルル経由サンフランシスコ行き第1便が羽田空港を飛び立った。客室乗務員の制服も戦後初の国際線運航に合わせて改定された。ブルーグレーの初代から一転、紺色を採用。襟のないジャケットには翼の胸章を付け、タイトスカートの前部にスリットを入れた。初代と比べ現代の制服に通じるデザインになったものの、いたってシンプルなスタイルだったといえる。帽子は筒型から天井のあるタイプに変更。左前部にある帽章は鳥をモチーフにしており、昭和34年に誕生する「鶴丸」マークを感じさせる。昭和35年8月にはジェット旅客機DC8「富士号」を初導入し、制服を3代目に変更。スマートなシルエットの同型機は「空の貴婦人」と呼ばれ、昭和41年に来日したビートルズが搭乗したことでも知られている。3代目制服は2代目を踏襲したデザインだったが、ジャケットのボタンをJALのロゴが入った金色に変更、ブラウスの襟を大きなW型にするなどして華やかな印象になった。2、3代目のデザインは共に、日本ファッション界の草創期に活躍したデザイナー、伊東茂平が担当した。

日本航空
設 立 昭和26年8月
本 社 東京都品川区
代表者 植木義晴・代表取締役社長
社員数 単体1万1449人、連結3万2753人(平成29年3月31日現在)
拠点空港 東京(羽田、成田)、大阪、新千歳、関西、福岡、沖縄、海外など
路線数 181路線(自主運航のみ)
保有機 226機

Thanks! 産経新聞

警視庁撮影のビートルズ映像公開を名古屋の団体が都と係争中
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英国のロックバンド、ビートルズが1966(昭和41)年に来日公演した際、警視庁が撮影した記録映像の全面公開を巡って、名古屋市の市民オンブズマンが東京都と争っている。ファンの間で「幻の映像」とされる30分強のモノクロフィルムの公開をオンブズマンが求めたのに対し、都は「(警察官やファンの顔は)個人情報に当たる」として拒否。オンブズマンは昨年末の東京地裁判決でも敗訴したため、控訴に踏み切った。判決などによると、フィルムはビートルズ来日(1966年6月29日~7月3日)を35分30秒に編集したもの。警視庁は警備のため数千人の警察官を動員したとされ、メンバー4人が降り立った羽田空港や公演先の日本武道館、宿泊先周辺の車両検問やパトロール、観客の状況などを収めた。4人の到着や演奏、移動、搭乗の様子も含まれている。半世紀近く「幻の映像」と言われていたが、2014年にフィルムが警視庁に保管されていることが報道で明らかになった。オンブズマンらでつくる名古屋市中区の情報公開市民センター(理事長・新海聡弁護士)は2014年と2015年の2回、映像の全面公開を都に求めた。都は「(映像には警察官やファンの)顔が記録され、特定の個人を識別することができる」として認めなかった。センターは2017年1月に非公開決定の取り消しを求め、東京地裁に提訴。地裁は都の主張を支持し、昨年12月20日付で訴えを退けた。直ちに東京高裁に控訴したセンターの新海弁護士は「来日時の映像は広く報道や商品化され、歴史の研究対象でもある。50年前に撮影された映像で特定の個人を識別することは困難。何でも個人情報とする風潮も疑問だ」と話す。新海弁護士によると、提訴前、都はオンブズマン側が70万~80万円の実費を払うことで観客らの顔にモザイク処理を施して映像を公開する手法も提案したという。だが、都は本紙の取材に対し、現有の機器でモザイク処理は難しいとして、一切公開しない考えを示した。ビートルズ来日に詳しい音楽評論家宮永正隆は「記録映像が持つ文化資料的価値は計り知れない。コンサート映像で観客の顔にモザイク処理を施したものは見たことがない。公開したとしても「写っている一般人が不利益を被る可能性」はなきに等しい。ミュージシャンやファンの意向とは別の「上から目線」または「事なかれ主義」が今も厳然と存在している図式だ。ビートルズ来日時に「席を立つと警察官に座らされた」「英国国旗を掲げただけで警察官が飛んできて破った」という他国では考えられない締め付けがあった当時と何ら変わっていないと感じる」と語っている。

Thanks! 中日新聞

【秘録 今明かす「あの時」】 最後の笑顔をカメラに ビートルズ、日本公演後“笑えぬ”不運

★ ビートルズ撮ったど!! (下)
ビートルズは1966年7月2日、日本武道館で行った3日間のコンサートの最終公演を迎える。初日は歌っている最中にマイクが何度も横を向いてしまうハプニングにも見舞われたが、日本中の興奮に水を差すことはなかった。「正直、何月何日に撮ったものなのか、覚えてないんですよ」。講談社の女性週刊誌ヤングレディ編集部のカメラマン3年目だった佐々木惠子はジョン・レノンに続き、再びポール・マッカートニーとジョージ・ハリスンのスクープ写真をものにする。彼女の記憶にはないが、2日の公演を終えて宿泊先の東京ヒルトンホテル(現ザ・キャピトルホテル 東急)に戻ってきたところとみられる。ポールはタオルを首に巻き、満足そうな笑顔を浮かべ、ジョージは奥にいるスタッフに何やら視線を送っている。佐々木はホテル駐車場に止まった車に飛び出していき、正面からシャッターを切ったとみられ、大胆なカットとなった。成功裏に終わった日本公演だが、メンバーにはその後、不運が連続する。翌3日、メンバーは離日して次の公演先のフィリピンへ向かった。4人はマルコス大統領夫人、イメルダから食事会に招かれていたが出席がかなわず、現地メディアに「大統領を侮辱した」などと報じられる。比国民は激怒し、ほうほうの体で出国する。次の米国ツアーでは、ジョンが雑誌のインタビューで語った「僕たちはいま、キリストよりも人気がある」との発言が、今で言う“大炎上”してしまう。信仰の厚いメンフィスでは暗殺の恐怖におびえた。この年を最後に、ビートルズはコンサート活動を停止した。佐々木は結果的に、ライブアーティストとして明るい表情を浮かべていた“最後のビートルズ”を記録したことになる。来日から50周年を迎えた昨年、写真は東京・渋谷で開かれた展示会で久しぶりに公開され、多くの観客で賑わった。「「武道館で見たんですよ」という女性が、当時のチケットを大事そうに手にしてやってきたりね」。一方で、こうした写真があることを知った何者かが「あの作品は私が権利を買い取った」などと吹聴しているとも耳にした。「半世紀たって、良くも悪くも4人の偉大さを知りました」と苦笑いする。「駆け出しのころの良い思い出です。今では私もビートルズの一ファンです」。75歳になるポールが現役でステージに上がるのと同じく、女性カメラマンの先駆者はいまも愛機を手に被写体に向きあっている。

Thanks! 夕刊フジ

【秘録 今明かす「あの時」】 リンゴ・スターの前にファンが! 厳戒警備の思わぬ盲点
ビートルズを叩き出せ!

★ ビートルズ撮ったど!! (中)
伝説のロックバンド、ビートルズは人気絶頂だった1966年、ただ1度だけ来日し、東京都千代田区の日本武道館で公演を行った。公演は6月30日、7月1、2の両日の計3回。司会はE・H・エリック、前座は内田裕也やジャッキー吉川とブルーコメッツらが務め、なぜかコミック・バンドのザ・ドリフターズも“同格”で舞台に立っている。海外のロックミュージシャンとして初めて「武道の聖地」、日本武道館でコンサートを行うビートルズに対し、国内の風当たりは強まっていた。「風紀が乱れる」「染まると不良になる」といった否定的な声も多く、大日本愛国党の赤尾敏総裁は東京・銀座に止めた街宣車の上から「BEATLES GO HOME(ビートルズは帰れ)」の旗を掲げ、演説を打った。警視庁は武道館に詰めかけた1万人の観客に対し、3000人の警察官を動員した。ビートルズのメンバーにも外出禁止令が出る厳戒態勢の中、講談社の女性週刊誌ヤングレディ編集部のカメラマン3年生の佐々木惠子は宿泊先の東京ヒルトンホテル(現ザ・キャピトルホテル 東急)に何ら苦労することなく潜入することに成功。地下駐車場でジョン・レノンを激写し、大スクープをものにする。「来日するということで騒ぎになっていたのは事実ですけど、4人の顔をよく知らなかったんですよ」。今ではにわかに信じがたいが、これに信憑(しんぴょう)性を与えるエピソードが残されている。メンバー4人は日本滞在中、ホテルに缶詰にされるはずだった。だが、ジョンは滞在中、ホテルをこっそり抜けだし、東京・表参道のみやげ物店、オリエンタルバザーで買い物を楽しんでいた。なぜそんなことが可能だったのか。実は、ジョンは同行する人物が持っていた通行証を警察官に見せ、秘密裏に部屋を抜け出していたのだ。事実であれば、警備にあたる警察官もまたビートルズのメンバーの顔を認識していなかったことになる。警視庁は来日前に連日、ビートルズ対策会議を開いて警備計画を練った。結果、懸念された会場での事故は防げたものの、意外なところが“ザル”だったようだ。ホテルから武道館に向かうリンゴ・スターを捉えた1枚には、ファンとみられる女性が手を伸ばす様子が写っている。こうした状況に加え、佐々木自身のキャラクターも取材活動に有利に働いていた。仕事中にスカートをはくこともないし、当時から髪は短かった。別の潜入現場では外国人から逆に「ヘイ、ボーイ」と声をかけられたこともあった。「良くも悪くも仕事でカメラマンをやっているように見えなかったんでしょうね」。

Thanks! 夕刊フジ

【秘録 今明かす「あの時」】 22歳女性カメラマン世紀のスクープ裏側
佐々木惠子

★ ビートルズ撮ったど!! (上)
羽田空港に1966年6月29日午前3時39分、日本航空のダグラスDC-8「松島」が静かに舞い降りた。ドアが開けられ、姿を現したのは4人の若者たち。ビートルズ。マッシュルームカットに、はっぴ姿は少し違和感が漂うが、7月3日の離日まで日本中を熱狂させる。そして、そんな彼らの素顔をスクープしたのは、22歳の女性カメラマンだった。佐々木惠子(74)は写真学校在学中の19歳のときに講談社が発行していた女性週刊誌ヤングレディ編集部と契約、プロカメラマンとしてスタートを切っていた。ビートルズが来日したのは東京五輪から2年後のことだった。4人は東京・永田町の東京ヒルトンホテル(現ザ・キャピトルホテル 東急)に宿泊していた。ホテル周辺や公演が行われた日本武道館、沿道では警視庁が空前の警備体制を敷いていた。5日間で警察官延べ約3万5000人が動員されたとされる。そんな鋭い視線をかいくぐり、英国車「オースチン・ヒーレー・スプライト」をヒルトンホテルの地下駐車場に密かに滑り込ませ、撮影の機会を狙っていた。「上から何か指示を受けた記憶はないんです。自分なりに撮りに行っていたんでしょうね」。警察庁の統計によると、日本で運転免許を保有していたのは2285万人余りで、現在の3分の1にも満たなかった時代のことだ。ホテル館内は外部以上に厳戒態勢が取られていた、はずだった。「(警備は)けっこうゆるかったと思いますよ。それに、私もまだ22歳の女でしたからね、向こうの人たちもカメラマンだとは思わなかったのかもしれません」。こうして幸先よく取材は始まったが、問題がなかったわけではない。実は、メンバーの顔をはっきりと知らなかったというのだ。「私、ジャズは大好きだったけど、ロックは詳しくなかったんですよ。それに今でこそビートルズって神格化されているけど、当時の感覚ではそこまで一般的に知れ渡ってはなかったと思うんです。きっと(週刊誌の)デスクも分かってなかったんじゃないかしら」。それらしいのがいたら撮っておこう...この大胆さがよかったのか、チャンスは7月1日にやってくる。日中、ふらりと地下駐車場に現れた外国人に気付きカメラを構えた。手に何やら包みを持ち、キャスケット帽にサングラス姿でこちらに向かってほほえんでいる。夢中でシャッターを切った。8日が命日の若き日のジョン・レノンだった。あれから半世紀がたつが、今でも光文社の写真週刊誌FLASHのカメラマンとして現場に立つ。「(1964年開催の)東京オリンピックは、まだ選手村が男女別々だったんですよ。男性ばかりじゃ、女性の選手村を取材できないということで、いろんな媒体が女性カメラマンを採用し始めたんです」。スクープは、日本で「女性カメラマン」という職業が生まれた時代の産物だったのだ。

Thanks! 夕刊フジ

JAL整備工場見学 ビートルズ来日の際に使われた機種を見学出来ます
羽田空港のJAL格納庫で機体を見学する参加者

フェンス越しに、すぐ近くを走行していく巨大な旅客機。ここは羽田空港(東京都大田区)にある航空各社の格納庫などが並ぶ「新整備場地区」だ。同地区で日本航空(JAL)と全日本空輸(ANA)が一般を対象に飛行機の機体整備工場見学を実施している。機体を間近に見られるとあって、予約開始後すぐに“満席”になる人気ぶりだ。ヘルメットを着用して格納庫へ入ると、目の前にJALの所有機では最大の「ボーイング777」が定期点検のため駐機していた。ガイド役の元キャビンアテンダント(客室乗務員)の杉原久乃が「航空機の定期点検は人間ドックのようなものです」と解説した。間近で見る旅客機は巨大で見上げるばかりだ。JALでは見学を空に興味を持ってもらうための「ミュージアム」と見立てて、「JAL工場見学 ~SKY MUSEUM~」と名付けて開催している。航空教室で航空機の飛ぶ仕組みや羽田空港の概要などを学び、続いて格納庫を見学する流れだ。この日は子どもが参加しており、航空教室では「羽田空港は2~3分に1回発着がある日本一忙しい空港です」「主翼の中に積む燃料は満タンにするとドラム缶約900本分。水に例えると、2年半の間、毎日お風呂に入れる量です」などと、わかりやすく説明してくれた。格納庫では点検中の航空機の周りに足場が組まれ、作業員が上部で作業できるようになっている。客室や操縦席の点検や整備のほか、タイヤやエンジンの交換作業も行われるという。格納庫からは轟音とともに滑走路を離着陸する航空機を見ることができ、迫力満点。庫内には1960年代の主力機で、美しい姿から「空の貴婦人」と呼ばれた「DC8」機の機首部分が保存されている。「ビートルズが来日した際に使われた機種です」と杉原は説明した。子どもにもわかりやすい説明が中心だったが、航空機ファンだという相模原市緑区の横溝彰広は「ファンでも十分満足できた」と笑顔だった。別の日に山口県立岩国工業高校の生徒たちと一緒に、ANAの機体工場見学にも参加した。格納庫にはボーイング社製では最新鋭の「787」機も駐機。787は従来の航空機とは違い、先進的な炭素繊維複合素材が多用されていることなどが説明されると、熱心にメモを取る生徒も。「乗り物の部品を作る仕事に就きたい」という同校2年の岡崎健太朗は「機種によって、いろいろなエンジンが使われていることがわかった。将来の参考になりました」と話していた。

工場見学
工場見学参加はJAL、ANAとも無料だが、事前予約が必要。両社とも対象は小学生以上で、小学生の場合、成人の同行が必要。JALは年末年始を除く毎日4回開催。1回につき100人まで見学可能。所要時間は約1時間40分。予約は見学希望日の6カ月前の9:30から 公式サイト で受け付ける。ANAは月~金曜(祝日などは除く)に1日4回開催。1回につき80人まで見学可能。所要時間は約1時間半。予約は見学希望日の6カ月前の9:30から 公式サイト で。両社とも東京モノレール新整備場駅下車徒歩。

Thanks! 毎日新聞

JALがビートルズ法被の復刻版を本日より機内プレゼント
JALオリジナルはっぴ

ビートルズ来日から50年を迎えたことを記念して日本航空(JAL)は1960年代にファーストクラスのリラクシング・ウェアとして使用し、ビートルズが1966年に初来日した際に着用していたハッピーコート(JALオリジナルはっぴ)の復刻版をロンドン(ヒースロー国際空港)発~東京(羽田国際空港)着の JL044 便において15日から機内でプレゼントする。対象はファーストクラス、ビジネスクラスの乗客で、期間はファーストクラスが12月15日~31日、ビジネスクラスが12月24日~25日(ロンドン出発日)。ビートルズ来日当時は羽田空港で日航の飛行機から法被を着て出てきた4人が手を振る姿に多くのファンが熱狂した。

対象便
JL044便 ロンドン発~東京(羽田)行き

対象期間 (いずれもロンドン出発日ベース)
ファーストクラス 2016年12月15日(木)~12月31日(土)
ビジネスクラス  2016年12月24日(土)~12月25日(日)

JALオリジナルはっぴ

Thanks! 日本航空 and more

JAL、東京-ニューヨーク線50周年 客室乗務員は懐かしい制服姿でお祝い
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12日、日本航空(JAL)は東京-ニューヨーク線開設50周年のイベントを成田空港で開いた。同路線は日本を発着する路線の中でも「看板路線」のひとつ。搭乗ゲートには就航当時の制服に身を包んだ客室乗務員(CA)らが、搭乗証明書などの記念品を配りながらフライトを見送った。

▪️ 当初は羽田からホノルル、サンフランシスコを経由
東京とニューヨークを結ぶ路線自体は、第2次世界大戦直後の1947年に開設されていた。だが、当時の日本は連合国軍総司令部(GHQ)占領下で、運航していたのは米国の航空会社だった。それから19年後の1964年、ニューヨークで開かれた万博のための物資や人員を運ぶためにJALが日本の航空会社として初めて同地に臨時便を飛ばし、さらに2年後の66年11月12日、定期便の運航が始まった。ビートルズが初来日した4か月半後のことだ。初便はダグラスDC-8型機の「SETO号」で運航。羽田空港を出発し、ホノルル、サンフランシスコを経由して約19時間かけてニューヨークに向かった。目的地はジョン・F・ケネディ国際空港だったが、悪天候で行き先がラガーディア空港に変更されるという「おまけ」つきだった。その後、68年にはサンフランシスコのみを経由するようになり、72年には経由地をアラスカのアンカレッジに変更。78年には、日本側の拠点が成田空港に移った。83年には「ジャンボジェット」として知られたボーイング747型機が就航し、直行便になった。今ではボーイング777-300ER型機と787-8型機が、東京からニューヨークを約13時間(逆方向は約14時間30分)で結んでいる。

▪️ 羽田線開設めぐり競争劇化
50周年の節目となる2016年11月12日の成田空港の搭乗ゲートには、就航当時の写真や時刻表などが飾られ、就航当時(1966年)の3代目、世界1周路線就航時(1967年)の4代目、直行便就航時(1983年)の6代目の制服に身を包んだCAらが記念品を配った。ニューヨーク行きのJL6便(ボーイング777-300ER型機)は乗員・乗客247人を乗せて定刻の11時頃に出発した。東京-ニューヨーク間はJALと全日空(ANA)が1日2往復ずつ、ユナイテッド航空が1往復の、計5往復が運航されている。9月29日まで続いた夏ダイヤでは全て成田空港発着だったが、翌30日に始まった冬ダイヤではANAが2往復のうち1往復を羽田発着に変更している。ANAが東京(成田)-ニューヨーク線を就航させたのは1991年のことだったが、高い客単価が期待できる羽田空港の発着枠を多く配分されたANAが攻勢を強めている形だ。一方のJALは経営再建のために公的支援を受けた影響で、国交省から新規路線の開設に制限を受けている。この制限が17年3月で解けるため、JALも近く羽田-ニューヨーク路線を開設するとみられており、競争が激化しそうだ。

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Thanks! J-CASTニュース

ビートルズ来日50年 熱狂イエスタデイのよう
The Beatles

ビートルズの来日から今年で50年を迎えた。9月には当時の活動を追ったドキュメンタリー映画「ザ・ビートルズ ~ EIGHT DAYS A WEEK」が公開され、時代を超えた人気は不動のままだ。大人は「不良の音楽」と呼び、若者は熱狂した。来日公演を会場で見た人は何を感じ、何を思ったのか、半世紀を超えて聞いた。

ばんばひろふみ 涙の乗車券握りしめ
ビートルズが来日したのは1966年6月29日午前3時40分。台風の影響で11時間遅れて羽田空港に到着した。公演は日本武道館で30日から3日間、計5回行われた。京都市東山区出身の歌手ばんばひろふみは7月1日夜の公演にいた。高校2年だった同級生のつてでチケットを入手。学校を早退し、2人で新幹線に乗って会場に向かった。「当時の世間の認識ではロックは不良の音楽。コンサートに行ったら退学という学校もあった。でも、これを逃したらビートルズを見る機会は絶対にないし、何があっても行くべきだと思った」と振り返る。会場は警察の機動隊や警備員が並び、通路にも控えた。ステージに近いアリーナに客席は設けられず、座席から見たビートルズは遠かった。それでも4人が登場すると、わめくような歓声が上がり、ばんばも「とりあえず叫んでいた」。今と比べて音響システムが未熟だったこともあり、音は聞こえにくかった。ビートルズの演奏は30分ほどだったが、観客はずっと興奮状態にあった。ばんばは隣に座っていた女性を思い出す。「ジョン・レノンがこっちを向くと、興奮して「ジョンだー」と言って僕の右肩にかみつくんですよ。僕も興奮してるから、かまれているのは分かるけど、ビートルズを一瞬たりとも見逃すかという気持ちが強くて」。帰り際に見ると、服には歯形がつき、血がにじんでいた。「それくらい彼女も興奮していた。僕も痛さなんて忘れてました」。西京区の主婦、日下美智子は神奈川県出身で、当時中学2年だった。ライオンの歯磨き製品を買ってチケットプレゼントに応募し、はがき50通を出して当選した。校則が厳しかった学校には卒業するまで内緒にした。2階席で周りは若い女性ばかりだった。立つと注意され、通路に陣取る警備員に興ざめした記憶がある。ただ演奏が始まると「うれしくてぼーっとしていた。ビートルズと同じ地面に立っているということが夢のようだった」。夢うつつのステップを踏みながら、会場を出た記憶がある。小学6年だった堀井晋次は「子どもにも衝撃を与えた。アウトローであることがかっこいいと思った。ビートルズと同じ場所にいたことは今でも誇り」と話す。ビートルズは全公演を終えた翌日の7月3日、すぐに羽田空港から次のツアー先のフィリピンへ旅立った。あの日、日本武道館を出て、帰りの地下鉄に向かって歩いていたばんば。ぞろぞろと歩く群集の中で思った。「ほんまにビートルズ見てたんかな」。直前までの光景は現実離れし、リアルさはなかった。

名曲人生をヘルプ!
ビートルズは1962年のレコードデビュー以降、世界中で人気を博し、1970年に事実上解散した。活動が人々に与えた影響は音楽やファッションなどの分野だけにとどまらない。ビートルズの力は、多くの人生の歩みに届いている。ばんばひろふみは中学2年の時、クラシックのレコードを買いに行った店でビートルズの曲に出会った。「これなんですか?」と驚き、思わずアルバムを買った。家に帰り、聴けば聴くほど「バイオリンをやってる場合ではないと思った。それでギターに持ち替えた」。ビートルズが1968年にインドを訪れたことにも影響を受けた。「インドから帰ったビートルズは歌詞が哲学的になったり、楽器も変わった。この天才たちを変えた国にすごく興味が湧いた」。ばんばも33歳で初めてインドを訪れ、人生観が変わった。貧しい現地の生活に触れ、「自分たちはいかに無駄な物をいっぱい持ってるか。シンプルに生きたらいいじゃないか」とインドという国を見て学んだという。

魂継ぐコピーバンド
ビートルズに憧れ、コピーバンドとして魂を受け継ぐ人たちがいる。京都で活躍するビートリップスはビートルズの曲が聴ける名店、京都キャバンクラブ(閉店)の専属バンドだったメンバーが中心となり、2000年ごろに結成された。リーダーでポール・マッカートニー役の川畑貴生はミュージシャンとして30年近くビートルズを追究してきた。少しでも近づきたいと、原曲に忠実に演奏し、手の動きやコードの押さえ方にこだわる。「ビートルズは体の一部。間違った形でファンに伝えたくない」と熱く語る。ジョン・レノン役の松本清一は中学時代にビートルズの曲を聴いて「ぶっ飛ばされた」という。「4人が一緒に歌うことで生まれるパワー」を大切にしている。

Thanks! 京都新聞

ビートルズ来日50周年を記念し、浅井慎平撮影の写真集が12月に全世界同時発売
HELLO,GOODBYE The Beatles in Tokyo 1966

ビートルズの来日50周年を記念した豪華写真集 HELLO, GOODBYE The Beatles in Tokyo 1966 が12月に全世界同時発売される。1966年の来日公演で、唯一のオフィシャルカメラマンを務めた浅井慎平が撮影した珠玉の名場面が50年ぶりによみがえる。浅井にとって1966年発売の「ビートルズ 東京 100時間のロマン」以来のビートルズ写真集で、東京・羽田空港到着から記者会見、ホテルでの素顔や和楽器で遊ぶ姿など、浅井だから実現した貴重なカットが満載。ファン垂涎のお宝グッズになること間違いなしだ。写真集は浅井慎平の直筆サインが入り、完全限定数で発行される。発売予定価格は4万8000円(送料込み)で、9月28日10:00から シンコーミュージック特設サイト で予約がスタートする。シンコーミュージックで写真集を予約購入すると特典として MUSIC LIFE 特製ビートルズノート3冊セットが同梱される。

Thanks! サンケイスポーツ