つれづれなるままにWINGSFAN
Tribute Vlog for Paul McCartney & Wings
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Yesterday  Here Today  Go Now

ポール・マッカートニー / ポール・マッカートニー
日本盤 SHM-CD 紙ジャケ仕様(英国初回盤LPをミニチュア再現)、解説・歌詞・対訳付、日本初回盤LP帯を可能な限り再現した巻き帯付
日本盤 LP 直輸入盤仕様、カラー・ヴィニール(レッド)、解説・歌詞・対訳付、日本初回盤LP帯を可能な限り再現した巻き帯付
日本盤 LP 直輸入盤仕様、ブラック・ヴィニール、解説・歌詞・対訳付、日本初回盤LP帯を可能な限り再現した巻き帯付
輸入盤 CD デジパック仕様
輸入盤 LP カラー・ヴィニール(レッド)
輸入盤 LP ブラック・ヴィニール

ラム / ポール&リンダ・マッカートニー
日本盤 SHM-CD 紙ジャケ仕様(英国初回盤LPをミニチュア再現)、解説・歌詞・対訳付、日本初回盤LP帯を可能な限り再現した巻き帯付
日本盤 LP 直輸入盤仕様、カラー・ヴィニール(イエロー)、解説・歌詞・対訳付、日本初回盤LP帯を可能な限り再現した巻き帯付
日本盤 LP 直輸入盤仕様、ブラック・ヴィニール、解説・歌詞・対訳付、日本初回盤LP帯を可能な限り再現した巻き帯付
輸入盤 CD デジパック仕様
輸入盤 LP カラー・ヴィニール(イエロー)
輸入盤 LP ブラック・ヴィニール

バンド・オン・ザ・ラン / ポール・マッカートニー&ウイングス
日本盤 SHM-CD 紙ジャケ仕様(英国初回盤LPをミニチュア再現)、解説・歌詞・対訳付、日本初回盤LP帯を可能な限り再現した巻き帯付
日本盤 LP 直輸入盤仕様、カラー・ヴィニール(ホワイト)、解説・歌詞・対訳付、日本初回盤LP帯を可能な限り再現した巻き帯付
日本盤 LP 直輸入盤仕様、ブラック・ヴィニール、解説・歌詞・対訳付、日本初回盤LP帯を可能な限り再現した巻き帯付
輸入盤 CD デジパック仕様
輸入盤 LP カラー・ヴィニール(ホワイト)
輸入盤 LP ブラック・ヴィニール

ヴィーナス・アンド・マース / ウイングス
日本盤 SHM-CD 紙ジャケ仕様(英国初回盤LPをミニチュア再現)、解説・歌詞・対訳付、日本初回盤LP帯を可能な限り再現した巻き帯付
日本盤 LP 直輸入盤仕様、カラー・ヴィニール(レッド&イエロー)、解説・歌詞・対訳付、日本初回盤LP帯を可能な限り再現した巻き帯付
日本盤 LP 直輸入盤仕様、ブラック・ヴィニール、解説・歌詞・対訳付、日本初回盤LP帯を可能な限り再現した巻き帯付
輸入盤 CD デジパック仕様
輸入盤 LP カラー・ヴィニール(レッド&イエロー)
輸入盤 LP ブラック・ヴィニール

スピード・オブ・サウンド / ウイングス
日本盤 SHM-CD 紙ジャケ仕様(英国初回盤LPをミニチュア再現)、解説・歌詞・対訳付、日本初回盤LP帯を可能な限り再現した巻き帯付
日本盤 LP 直輸入盤仕様、カラー・ヴィニール(オレンジ)、解説・歌詞・対訳付、日本初回盤LP帯を可能な限り再現した巻き帯付
日本盤 LP 直輸入盤仕様、ブラック・ヴィニール、解説・歌詞・対訳付、日本初回盤LP帯を可能な限り再現した巻き帯付
輸入盤 CD デジパック仕様
輸入盤 LP カラー・ヴィニール(オレンジ)
輸入盤 LP ブラック・ヴィニール

マッカートニーII / ポール・マッカートニー
日本盤 SHM-CD 紙ジャケ仕様(英国初回盤LPをミニチュア再現)、解説・歌詞・対訳付、日本初回盤LP帯を可能な限り再現した巻き帯付
日本盤 LP 直輸入盤仕様、カラー・ヴィニール(クリア)、解説・歌詞・対訳付、日本初回盤LP帯を可能な限り再現した巻き帯付
日本盤 LP 直輸入盤仕様、ブラック・ヴィニール、解説・歌詞・対訳付、日本初回盤LP帯を可能な限り再現した巻き帯付
輸入盤 CD デジパック仕様
輸入盤 LP カラー・ヴィニール(クリア)
輸入盤 LP ブラック・ヴィニール

タッグ・オブ・ウォー / ポール・マッカートニー
日本盤 SHM-CD 紙ジャケ仕様(英国初回盤LPをミニチュア再現)、解説・歌詞・対訳付、日本初回盤LP帯を可能な限り再現した巻き帯付
日本盤 LP 直輸入盤仕様、カラー・ヴィニール(ブルー)、解説・歌詞・対訳付、日本初回盤LP帯を可能な限り再現した巻き帯付
日本盤 LP 直輸入盤仕様、ブラック・ヴィニール、解説・歌詞・対訳付、日本初回盤LP帯を可能な限り再現した巻き帯付
輸入盤 CD デジパック仕様
輸入盤 LP カラー・ヴィニール(ブルー)
輸入盤 LP ブラック・ヴィニール

パイプス・オブ・ピース / ポール・マッカートニー
日本盤 SHM-CD 紙ジャケ仕様(英国初回盤LPをミニチュア再現)、解説・歌詞・対訳付、日本初回盤LP帯を可能な限り再現した巻き帯付
日本盤 LP 直輸入盤仕様、カラー・ヴィニール(シルヴァー)、解説・歌詞・対訳付、日本初回盤LP帯を可能な限り再現した巻き帯付
日本盤 LP 直輸入盤仕様、ブラック・ヴィニール、解説・歌詞・対訳付、日本初回盤LP帯を可能な限り再現した巻き帯付
輸入盤 CD デジパック仕様
輸入盤 LP カラー・ヴィニール(シルヴァー)
輸入盤 LP ブラック・ヴィニール

上記8タイトル・セット(ユニバーサル・ミュージック・ストア限定発売) / ポール・マッカートニー&ウイングス
日本盤 SHM-CD 紙ジャケ仕様(英国初回盤LPをミニチュア再現)、解説・歌詞・対訳付、日本初回盤LP帯を可能な限り再現した巻き帯付
日本盤 LP 直輸入盤仕様、カラー・ヴィニール(8色)、解説・歌詞・対訳付、日本初回盤LP帯を可能な限り再現した巻き帯付
日本盤 LP 直輸入盤仕様、ブラック・ヴィニール、解説・歌詞・対訳付、日本初回盤LP帯を可能な限り再現した巻き帯付

ポール・マッカートニー/アーカイヴ・シリーズ

ザ・ビートルズ
SHM-CD 紙ジャケ プリーズ・プリーズ・ミー
SHM-CD 紙ジャケ ウィズ・ザ・ビートルズ
SHM-CD 紙ジャケ ハード・デイズ・ナイト
SHM-CD 紙ジャケ ビートルズ・フォー・セール
SHM-CD 紙ジャケ ヘルプ!
SHM-CD 紙ジャケ ラバー・ソウル
SHM-CD 紙ジャケ リボルバー
SHM-CD 紙ジャケ サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド
SHM-CD 紙ジャケ マジカル・ミステリー・ツアー
SHM-CD 紙ジャケ ザ・ビートルズ (ホワイト・アルバム)
SHM-CD 紙ジャケ イエロー・サブマリン
SHM-CD 紙ジャケ アビイ・ロード
SHM-CD 紙ジャケ レット・イット・ビー
SHM-CD 紙ジャケ パスト・マスターズ
SHM-CD 紙ジャケ ザ・ビートルズ 1962年~1966年 (赤盤)
SHM-CD 紙ジャケ ザ・ビートルズ 1967年~1970年 (青盤)

ザ・ビートルズ ステレオ盤 SHM-CD 紙ジャケット・シリーズ


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ポール・マッカートニー&ウイングス
のトリビュート LIVE フェスティバル
WINGSFAN をプロデュースしてい
ます。このブログは私が日常生活
の中で興味を持ったことやウイン
グスや WINGSFAN などに関する
情報などを毎日掲載しています。 

wingsfan@wingsfan.net


幻の未発表アルバム15選 ビートルズ、ポール・マッカートニーも
Paul McCartney

未発表アルバムは手が届かないところに存在するもう一つのロックの世界を垣間見せ、私たちの興味を掻き立てる。私たちが未発表アルバムに魅了されるのは、その音楽だけが理由なのではなく、それを誰が作ったかが大いに関係している。またその音楽は必ずしも私たちの期待に応える内容であるとも限らない。未発表作品のプロジェクトの背景には史上最高のアーティストたちがそのクリエイティブなアイデアを巡り、レコード会社あるいはメンバーをも相手に争うというエピソードが存在する。また時には、そういったドラマは関係なく、単純にプロジェクトが中断し忘れ去られたという場合もある。しかし、ポール・マッカートニー、ビートルズ、ニール・ヤング、ボブ・ディランとジョニー・キャッシュ、マーヴィン・ゲイといったミュージシャンたちのお蔵入りスタジオ・セッションの噂は、崇拝するアーティストがレコーディングした全ての曲を見つけ出そうと心に決めた、献身的なファンの心の中に生き続けている。ビーチ・ボーイズの「Smile」やザ・フーの「Lifehouse」といった、伝説的「幻のアルバム」の詳細が徹底的に記録されている一方で、驚くほど多数の特筆すべきプロジェクトは未だ謎に包まれたままになっている。それらのアルバムは歴史を変えたかもしれないものから、ただ単純にサウンドが見事なものまでさまざまだ。いずれにしても、それらが聴く価値のあるアルバムだということには変わりない。

ザ・ビートルズ - Get Back 1969年
「ゲット・バック」はロックの原点に戻るというコンセプトの元、複雑な制作過程をたどらず、アルバムに付属するドキュメンタリー映画の撮影のために格納庫のような映画スタジオでライヴレコーディングされた。コンセプトは面白いものであったが、その条件はアルバム作りに理想的なものでなく、ビデオカメラはセッションの邪魔をした。この拷問のようなセッションは有名な旧アップル本社の屋上で行われたコンサートの直後に終了したが、85時間に及ぶセッションの音源をまとめる役目を自ら引き受ける者は誰もいなかった。ガラクタの山から使える曲のリストを選び抜くという、誰もがうらやまない役を引き受ける羽目となったのはプロデューサーのグリン・ジョンズだった。「最初はリハーサルの音源でアルバムを作りました」と彼は英BBCに話している。「曲の間に雑談とかジョークとか普通の会話の一部を入れて。それから途中で演奏が止まったものとか、出だしを間違えたものとかも」。ビートルズはというと、このコッソリと監視されるようなアプローチを「かなり気に入っていた」という。一方でビートルズの新マネージャーのアラン・クレインは洗練されていないアルバムをリリースすることを渋った。そしてアランは70年3月、ジョン・レノンに「ゲット・バック」のテープをプロデューサーのフィル・スペクターに渡すことを勧めた。フィルの新しい制作アプローチにメンバー全員が賛成したわけではなかった。「僕が全くコントロールできないところで進められたんだ」。ポール・マッカートニーは伝記作家のバリー・マイルズにこうため息交じりに話したことがあった。「リミックスバージョンが送られてきたんだ。でも、誰も僕の感想を聞かなかった」。ポールはアレンジが加わった自身の曲を聴いた時、激怒したという。特に必要以上に感傷的なストリングス、ハープ、大げさなクワイアが曲中に散りばめられた「ザ・ロング・アンド・ワインディング・ロード」に対して怒りを露わにしたようだ。楽器を取り除いてほしいというポールの要求は退けられ、アルバムは「レット・イット・ビー」というタイトルで同年5月にリリースされた。


ボブ・ディラン&ジョニー・キャッシュ - The Dylan/Cash Sessions 1969年
ボブ・ディランとジョニー・キャッシュはコラボレーションの機会を一度も得ずに同じ音楽の世界で10年の月日の大半を共に過ごした後、ようやくスタジオ入りを実現させた。最初に行動を起こしたのはマン・イン・ブラックの愛称で知られるジョニー・キャッシュで、62年に若き吟遊詩人ボブ・ディランが音楽界に現れた直後にファンレターを送ったという。その2年後のニューポート・フォーク・フェスティバルでジョニー・キャッシュはボブ・ディランへ尊敬の証として自らのギターをプレゼントしている。69年2月、ボブ・ディランはジョニー・キャッシュの故郷でカントリー・ミュージックに傾倒した9枚目のアルバム「ナッシュヴィル・スカイライン」をレコーディングしていた。この時に偶然にも隣のスタジオにいたジョニー・キャッシュをボブ・ディランが訪ねたことで2月17日と18日にセッションが実現し、二人はデュエット曲12曲以上をレコーディングした。その中からアルバム「フリーホイーリン・ボブ・ディラン」の再収録曲となる「北国の少女」が唯一、「ナッシュヴィル・スカイライン」に収録された。残りの曲はというと、海賊版として世に出回るまで謎に包まれていた。同コレクションは、二人の大物ミュージシャンがそれぞれのレガシーを再検討するという興味深い内容で、ボブ・ディランの「いつもの朝に」、ジョニー・キャッシュのヒット曲「アイ・ウォーク・ザ・ライン」「リング・オブ・ファイア」「ビッグ・リヴァー」が再収録されている。また、サン・レコード初期の曲「ザッツ・オール・ライト」や「マッチボックス」も、カール・パーキンスのギターのサウンドと共に長い歳月を経て再び蘇っている。

ジェフ・ベック - The Motown Album 1970年
デトロイトの神聖なヒッツヴィルUSAでレコーディングを行った数少ない英ロック・アーティスト、ジェフ・ベック。彼は2010年にローリングストーン誌のデヴィッド・フリッケに「あそこで行われた最後の何回かのセッションだったんだ」と話している。「俺たちは観光客とか、キャンディー・ショップのガキみたいだった」。ジェフ・ベックのギターとモータウンのスタジオ・バンド、ファンク・ブラザーズのコラボは素晴らしいアイデアに聞こえる。しかし、ジェフ・ベックがバンドのドラマー、コージー・パウエルを連れて行ったことで、不穏なスタートを切ったという。「ドラマーをモータウンに連れて行くとか、俺は何を考えてたんだ?」。彼は後にこう振り返っている。「彼らは即行、俺たちのことを嫌ってね。関わりたくなかったみたい」。最終的にファンクとロックのコラボが具体化することはなかった。「俺はモータウンの雰囲気に一味加えたバンドを作りたかったんだ。でも、モータウンではロックからどんどん遠ざかってしまった。彼らはそれを理解できなかったのさ」。セッション費がかさみ、敗北に終わったジェフ・ベック一行は英国へと帰国した。「完璧に逃したチャンスだった。最悪なカタログだったんだ」。ジェフ・ベックは10曲ほどレコーディングし、そのうちの数曲はモータウンの数々のヒット曲を世に送り出したソングライター・グループ、ホーランド=ドジャー=ホーランドが作曲したことを明らかにしている。その中に幻の大ヒット曲は存在するのか? まさにその答えはジェフ・ベックのみぞ知っている。「カセットテープ1本にコピーしてる。存在するのはその1本だけなんだ」。ジェフ・ベックは72年にスティーヴィー・ワンダーのアルバム「トーキング・ブック」のゲスト・アーティストとして、モータウンの敷地に再び足を踏み入れている。そこで2人がテークの間にジャムした音源が、後の「迷信」の基礎となった。

ジミ・ヘンドリックス - Black Gold 1970年
70年初頭、ジミ・ヘンドリックスは伝統的なロックンロールの枠を超えた曲作りに励んでいた。「一かけらって言うものさ」。彼はこうローリングストーン誌に表現している。「楽章みたいな。そういうのを書いているんだ」。ある日、彼はマーティン社のアコースティック・ギターを手に取り、16曲の曲集をカセットテープ数本に録音した。そしてラベルに「ブラック・ゴールド」と書いたテープをスタジオ・セッション用にドラムのパート考えてもらおうとミッチ・ミッチェルに渡した。しかし、ジミ・ヘンドリックスは、そのスタジオ・セッションの実現を待たずして、この世を去ってしまった。テープはミッチの手に渡ったまま、20年もの間忘れ去られた。その20年間、盗まれ永遠に失われたものだと考えられていたテープの収録曲について、果てしない推測が飛び交った。もちろん、テープが存在すると仮定しての推測だ。ジミ・ヘンドリックスが「ブラック・ゴールド」についてマスコミに口を開くことはめったになく、あったとしても遠まわしに音楽制作の方向性について語るだけだった。「大体が馬鹿げたもの」と彼は話していた。「面白い男を作り上げるんだ。彼が奇妙な場所に行くわけ。俺はそれを音楽にできると思ってる」。「ブラック・ゴールド」の謎のいくつかは92年にミッチ・ミッチェルが英国の自宅でこのカセットテープを再発見した時に明らかになった。スタジオで完成した6曲はジミ・ヘンドリックスの死後に発表されたアルバムに収録されたが、残りの9曲はカセットテープに残ったままだ。何年も続いた法廷争いの後、ジミ・ヘンドリックスの遺産管理人は「ブラック・ゴールド」を「10年の間」にリリースすることを約束している。2016年6月現在までに発表されたのはアルバムのオープニング曲「サドンリー・ノヴェンバー・モーニング」のみとなっている。

ジーン・シモンズ&ポール・スタンレー - Wicked Lester 1972年
ジーン・クラインとスタンレー・アイゼンは、それぞれキッスのジーン・シモンズ、ポール・スタンレーとしてメイクを施す前にウィキッド・レスターのメンバーとして活動していた。たった数回のステージ経験しかないウィキッド・レスターに対してエピック・レコードがデビュー・アルバムの資金支援に名乗りを上げると、彼らは半年間に及ぶずさんなレコーディング・スケジュールの中、ポップ曲のカバーとオリジナル曲をレコーディングした。歴史に残るセッションでこそあったが、収録された曲は音楽スタイルの方向性が定まらないもので、それらを一枚のアルバムに収めるには無理があった。11曲収録されたアルバムはエピック・レコードに即座に却下されたが、その決定に対してジーンまでもが最もな判断だと賛成している。「ウィキッド・レスターは面白い曲が集まったものかもしれないけど、テーマとかアイデンティティとかが抜けてるんだ」。ジーンはこう振り返っている。新規巻き返しを図ろうとした二人はピーター・クリスとエース・フレーリーと共にバンドを結成した。そのバンドこそ、後に2人を有名にしたバンドだ。ウィキッド・レスターのテープはというと、76年にエピック・レコードがキッスの世界的な人気に付け込む機会を見つけるまでの間、眠った状態だった。ポップなサウンドで恥をかくこと、ファンを混乱させることを恐れたバンドは13万7500米ドルでテープを買い戻し、それが世に出回ることを阻止した。ウィキッド・レスター時代の曲である「彼女」と「すべての愛を」を再収録したものはキッスの75年のアルバム「地獄への接吻」に、また「キープ・ミー・ウェイティング」は2001年の「KISS BOX ~ 地獄のシガー・ボックス」に収録されている。その他の曲は、未だ謎に包まれたままとなっている。

ザ・フー - Rock Is Dead ─ Long Live Rock! 1972年
ピート・タウンゼントの陰鬱なアルバム「Lifehouse」はザ・フーが69年にリリースしたロック・オペラの伝説的アルバム「トミー」に続く一枚となる予定だったが、発表するにはあまりにもヘヴィな内容だった。ピートが一年ほど汗水垂らし神経衰弱にまで陥った後にプロジェクトは打ち切られ、当時の曲は71年のアルバム「フーズ・ネクスト」に収録された。そしてピートは次なるプロジェクトに、より身近なトピックを選んだ。「ロック・イズ・デッド ─ ロング・リヴ・ロック!」はバンドの歴史を辿る自叙伝的アルバムとなる予定だった。英国でグラムロックの人気に火がつき始めた頃、ザ・フーは絶好のタイミングでシンセサイザーを使うことを止め、伝統的な四つ打ちビートを刻んだ。レトロなブギウギの見事なタイトル曲はバンド初期のライヴの雰囲気を感じることができる。グリン・ジョンズを共同プロデューサーに迎えたスタジオ・セッションは72年の5月から6月にかけて行われた。ピートはレコーディングが終わりに近づいていることを明らかにしていた。またアルバムのリリースに伴い、テレビの特集番組の計画があるという噂までもあった。しかし、夏が過ぎ行く中、バンドはアルバムが「フーズ・ネクスト」のサウンドに酷似していると感じ始め、メンバーの熱意は薄れていった。その年の秋にピートは「みんなは俺たちの過去の全てを、座って聴いたりしないさ」と英メロディ・メーカー誌に不満をもらしていた。しかし、バンドの過去を再訪したことはピートに多大なインスピレーション与え、「ロック・イズ・デッド ─ ロング・リヴ・ロック!」はザ・フーのロック・オペラで前衛的なアルバム「四重人格」として生まれ変わりリリースされた。

クロスビー、スティルス、ナッシュ&ヤング - Human Highway 1973年
70年のツアーでの解散劇はクロスビー、スティルス、ナッシュ&ヤング(CSN&Y)が、その後長い間引き裂かれたままである可能性を示していた。しかし73年に再結成の準備を整えた四人はマイアミへ飛び、ニール・ヤングの平和で心地良い松の木に囲まれたビーチハウスでニューアルバムの曲作りやリハーサルをした。「ヒューマン・ハイウェイ」と名付けられたこのプロジェクトではタイトル曲と「パードン・マイ・ハート」をニール・ヤングが、「アンド・ソー・イット・ゴーズ」と「プリズン・ソング」をグラハム・ナッシュが、「シー・ザ・チェンジ」をスティーヴン・スティルスが、そして「ホームワード・スルー・ザ・ヘイズ」をデヴィッド・クロスビーがそれぞれ手掛けた。数々の新曲を手にレコーディング・スタジオに再集結したCSN & Yであったが、すぐに張り詰めた雰囲気がセッションに漂い、同プロジェクトは取りやめとなった。バンドは関係が落ち着いた1年後の74年の夏に2カ月間の大規模ツアーを決行した。ファンを大いに楽しませたツアーではあったが、薬物乱用、グループ内の確執、悪い雰囲気が漂ったこのツアーをクロスビーは「破滅のツアー」と呼んだ。その年の11月、CSN&Yはカリフォルニアのスタジオに再集結し、「ヒューマン・ハイウェイ」に再び取り掛かっている。「(アルバムは)無理なものだったんだ」とデヴィッドは話している。「スティルスはぼろぼろだった。俺もひどかった。ナッシュでさえ普段の良いヤツじゃなかったんだ」。バンドは75年1月にグレイトフル・デッドのビル・クルーツマンを迎え、最後の試みに出る。しかし、ナッシュとスティルスがハーモニーの音程について口論する様子にうんざりしたニール・ヤングがバンドを後にし、その後プロジェクトが再始動することはなかった。

ピンク・フロイド - Household Objects 1974年
73年のアルバム「狂気」で世界的に成功を収めたピンク・フロイド。わずか一夜にしてバンドを最も勢いのあるロックバンドへと変身させた「狂気」に釣り合うアルバムの制作に困った彼らは実験的で馬鹿げたコンセプトに取り掛かることに落ち着いた。そのコンセプトとはなんと、楽器を一切使わずにアルバムを作るというものだった。「ハウスホールド・オブジェクツ」でピンク・フロイドはハンドミキサー、電球、木工用のこぎり、ハンマー、ほうき、その他の家庭用電化製品を使って曲を演奏した。そのレコーディングは困難極まるものだったという。「俺たちは鉛筆と輪ゴムでベースの音に近いサウンドを出すために何日も費やした」。リック・ライトは2007年の英BBCのドキュメンタリー番組で、こう回想していた。「ロジャーと座って、「ロジャー、これはむちゃだ」って話したのを覚えてる」。またデヴィッド・ギルモアも同じ見解を語っている。「大体が、ドンって音だけだもんな。...最終的には、個人的に満足できないものになったんだ」。満足、成果の得られないプロジェクト。最終的に彼らは輪ゴムでベースのサウンドを作ることに苦労するのではなく、ベースを使うことを選択した。楽器を使用することによって「ハウスホールド・オブジェクツ」は幻のプロジェクトとなった。そして1カ月に及んだプロジェクトが生み出したのは半分完成した「ザ・ハード・ウェイ」と「ワイン・グラシズ」の2曲だけだった。「ザ・ハード・ウェイ」は2011年にボーナストラックとして収録された時にようやくその存在が明らかになった。一方の「ワイン・グラシズ」は「狂気」に続くアルバム「炎~あなたがここにいてほしい」の主要曲「クレイジー・ダイアモンド」の中で使われている。

デヴィッド・ボウイ - The Gouster 1974年
74年のアルバム「ダイアモンドの犬」はR&Bに心酔するボウイを垣間見ることができる。そしてボウイのR&B熱は同年の全米ツアーで本格的になった。バスで米国を縦横する間、彼はラジオから流れてきたフィリー・ソウルのサウンドに陶酔したという。ボウイはフィーリー・ソウルの発祥地を訪れることを決め、その年の8月にフィラデルフィアの名高いシグマ・サウンド・スタジオの予約を取り向かった。そしてそこで、ルーサー・ヴァンドロスをはじめとしたスタジオ・ミュージシャンから成る夢のグループを結成した。コカインの力を借りた数週間のセッションではアルバム一枚を作るのに十分な数の曲が生まれた。「イッツ・ゴナ・ビー・ミー」「アフター・トゥデイ」「フー・キャン・アイ・ビー・ナウ?」「Shilling the Rubes」はボウイが「プラスティック・ソウル」と呼ぶ曲の中でも存在感抜群だ。また同セッションで誕生したものの中で最も有名な曲といえば、リチャード・ニクソン元米大統領の辞任から2日後に収録され、歌詞にニクソン元大統領の名前が登場する「ヤング・アメリカンズ」だろう。プロデューサーのトニー・ヴィスコンティは「指を鳴らしながら町を歩く流行最先端の男」と自ら定義する黒人の俗語「The Gouster」というアルバム名でセッションの曲を集めた。まさにボウイにふさわしいアルバムタイトルだ。「ありのままの自分で最もいられたアルバムだった」。ボウイはアルバムの発表前に、こう英メロディ・メーカー紙に語っていた。アルバムのリリースの準備が整った頃、ビートルズのあるメンバーが同プロジェクトに参加した。「アルバムをミックスした2週間ぐらい後にボウイからジョン・レノンと一緒に「フェイム」という曲をレコーディングしたという電話をもらったんです」とトニーは当時を回想している。2人はこの曲以外にも、ジョン・レノンの「アクロス・ザ・ユニバース」をレコーディングしていた。これら二曲に合うようにトラックリストが何度も入れ替えられた後、最終的にアルバム「ヤング・アメリカンズ」として75年3月にリリースされた。

ポール・マッカートニー - Cold Cuts 1974年~1980年
ポール・マッカートニー&ウイングスが73年の「バンド・オン・ザ・ラン」でビートルズ級の売り上げを記録するとレーベルは次作に不安を抱えた。ニューアルバムのリリースが売り上げが伸びるクリスマス・シーズンに間に合わないということでコレクションアルバム「ホット・ヒッツ・アンド・コールド・カッツ」のリリースが計画された。このアルバムはチャート上位を獲得したシングル曲を集めたものと、ファブフォー解散後のポールの未発表曲を収めた2枚組となる予定だった。74年7月に同プロジェクトに取り掛かったウィングスは古い曲に手を加え、また新曲を数曲レコーディングした。しかし「バンド・オン・ザ・ラン」がチャートで勢いに乗っていた中、この一時しのぎのアルバムの発表は必要ないと判断され、アルバムはお蔵入りとなった。ポールはその後20年の間、幾度となくこのプロジェクトを再始動させた。78年には曲数を減らした1枚組のアルバムが発売寸前までいっていたという。しかし、レーベールが未発表曲を収録したアルバムではなく、ヒット曲を集めたアルバムのリリースを好んだため、結局ベスト・アルバムが代わりに発売されている。80年10月、ポールは再び未発表曲に取り掛かり、その音楽の才能の幅の広さを見せつける12曲入りのアルバムを完成させた。そこにはホーダウンのダンス曲「ヘイ・ディドル」と、ウイングスが72年のヨーロッパツアーで披露した力強い「ベスト・フレンド」のライヴカットが並んで収録された。また陽気で夏らしいシンセポップ曲「Waterspout」やアルバムの中で最も心に染みる50年代のバラード曲「トラジディ」のカバーも収録されている。このアルバムの収録曲はいろいろな意味で当時のポールの他の作品以上の存在感を持っていた。しかし、レーベルが前向きでなかったこともあり、ウイングスの解散とジョン・レノンの暗殺という悲しみの中でアルバムは再びお蔵入りとなってしまった。

Cold Cuts - Paul McCartney

ニール・ヤング - Homegrown 1975年
ニール・ヤングの私生活は74年までに歯車が狂ってしまっていた。恋人であった女優のキャリー・スノッドグレスと別れ、CSN&Yの活動を再開させようとした彼に待ち受けていたのは「ヒューマン・ハイウェイ」プロジェクトの中止と、メンバーの関係が深刻化した「破滅のツアー」だった。ニール・ヤングはこの荒れた時代にニューアルバム「ホームグロウン」の曲作りに励んだ。「42丁目のど真ん中とかベトナムでアルバムを作ろうとするみたいに緊迫してました」とプロデューサーを務めたエリオット・メイザーは言う。「地獄を味わってる男がいて、その男にとってそれはカタルシスみたいなものだったんです」。「フローズン・マン」「セパレイト・ウェイズ」「ラヴ・アート・ブルース」といった曲からは孤独で悲しみに打ちひしがれた男の荒涼さを感じることができる。完成したアルバムを耳にした誰もがニール・ヤングを一躍トップアーティストに押し上げた大ヒットアルバム「ハーヴェスト」に劣らない傑作だと断言した。アルバムジャケットは印刷され、レコード会社の重役たちはミリオンセラーになる心の準備をしていた。そんな中、心変わりしたニール・ヤングは最新アルバムの意見を聞こうと、ザ・バンドのリック・ダンコを含む友達をロサンゼルスのホテル、シャトー・マーモントに集めた。この時、「ホームグロウン」が流れ終わったところにダークで粒の粗いサウンドの未発表アルバム「今宵その夜」が偶然ステレオから流れ出したという。リックは「ホームグロウン」の比較的精巧なサウンドよりも「今宵その夜」の力強いサウンドを好んだ。ニール・ヤングはレーベルの助言を無視し、その年の6月に「ホームグロウン」ではなく「今宵その夜」をリリースした。「(「ホームグロウン」を)今の俺からは聴きたかもしれないけど、かなり暗いアルバムだったんだ」。彼は当時ローリングストーン誌にこう話していた。「プライベートなアルバムすぎて...怖くなったんだ」。

ザ・ビーチ・ボーイズ - Adult/Child 1977年
70年代前半、ブライアン・ウィルソンは精神病と薬物依存を理由にバンドを不在にしていた。そんな彼が76年、ビーチ・ボーイズのプロデューサー兼天才としての役割に復帰すべく、冬眠から目覚めた。その結果発表された「15 ビッグ・ワンズ」(1976年)と「ラヴ・ユー」(1977年)は輝かしい結果こそ残すことはできなかったが、それらのセッションはブライアンに自信を取り戻させた。ブライアンは67年の未発表アルバム「スマイル」のセッション以降めったに見せることのなかったクリエイティブな情熱を持って、次なるプロジェクトに取り掛かった。「アダルト/チャイルド」でブライアンはフランク・シナトラの編曲者を迎え、軽快で派手なアレンジが加わったビッグバンド風のアルバム作りに挑戦した。彼の中に新たに芽生えた活力はアルバムのオープニング曲「ライフ・イズ・フォー・ザ・リビング」の「人生は生きるためのもの/ぼんやりと過ごすな/大麻を吸う/そんなものは遥か昔に時代遅れになったんだ」という忘れ難き忠告に表れている。華麗な楽器のアレンジが施されているにも関わらず、「アダルト/チャイルド」の曲はブライアンの驚くほどプライベートな人生を垣間見せている。ブライアンは「H.E.L.P. イズ・オン・ザ・ウェイ」のようなアップテンポな曲で、自身の「激太り」を嘆き、「ラインズ」では、映画館への平凡な旅を歌った。また「スティル・アイ・ドリーム・オブ・イット」と「イッツ・オーヴァー・ナウ」の2曲のバラードはアルバム「ペット・サウンズ」のB面の収録曲に劣らない、心響く曲になっている。しかし、バンドのメンバーはというと、アルバムの曲に良い反応を示さなかった。オーケストラのアレンジがしっかりと施されたデモを聴いたマイク・ラヴは、とても信じられないという顔で「一体何のつもりなんだ?」とブライアンに言ったそうだ。バンドがアルバムの曲を拒否した結果、「アダルト/チャイルド」ではなく、低評価されることとなる「M.I.U.アルバム」が代わりに発表された。

マーヴィン・ゲイ - Love Man 1979年
モータウンのスター、マーヴィン・ゲイは79年に2つのことに夢中になっていた。コカインと関係が悪化した妻のジャニス・ハンターだ。そしてこのことはマーヴィン・ゲイの音楽キャリアを破壊し、ファンは彼よりも若いリック・ジェイムスやプリンスといったスターに群がった。「あいつらが俺のファンを奪うのはいただけない」。マーヴィン・ゲイはこう不満を漏らしていた。「俺のファンを取り戻すんだ。正統派のロマンティックなパーティ・アルバムを作るんだ」。「ラヴ・マン」という皮肉なタイトル名のアルバムに収録された曲は臆面もなく妻とファンを取り返そうとするものであった。「A Lover's Plea」には「天の神が僕を許すというのに、どうして君にはできないの?」と悲嘆にくれる歌詞がある。アルバムの主要曲であり、ディスコ的な要素が散りばめられたダンスナンバー「エゴ・トリッピング・アウト」さえも女好きという評判に深く傷ついたセルフパロディ曲になっている。同曲は失敗に終わり、450万米ドルの税金が事態をさらに悪化させた。お金に困ったマーヴィン・ゲイは収入を得るためにツアーをまわったが、中途半端なステージをたった数回行った後でコンサートのプロモーターからの訴訟が相次いだため、ツアーから撤退している。莫大な借金を抱え自己破産せざるを得ない状況に追いやられたマーヴィン・ゲイはコカイン28グラムを一度に摂取し、自殺を図った。マーヴィン・ゲイは自殺から生き延びると、生活を改善しようとした。不幸な時期から距離を置くために彼は新たなプロジェクト「イン・アワー・ライフタイム」を始動させた。「モータウンが「ラヴ・マン」をリリースするために、どれだけお金を投資してくれても、俺はリリースできなかっただろうね」。彼はデイヴィッド・リッツにこう話したことがあった。マーヴィン・ゲイが「ラヴ・マン」に再び取り掛かろうとしているという噂があったが、84年に逝去したことでそれは叶わぬ希望となった。

ザ・クラッシュ - Rat Patrol From Fort Bragg 1981年
フロントマンのジョー・ストラマーとギタリストのミック・ジョーンズが、音楽の方向性をめぐって衝突すると、81年の秋までに「町の最後のギャング」と自称するクラッシュは、バラバラになりかけていた。ジョーが伝統的なロックンロールを好んだ一方で、ミックは当時の最新アルバムで探求した世界の音楽のトレンドを探求し続けたいと考えていたのだ。ミックはプロデューサーとして、「ラット・パトロール・フロム・フォート・ブラッグ」と題する大がかりな2枚組アルバムの制作に取り掛かった。「ラット・パトロール・フロム・フォート・ブラッグ」は主にニューヨークでレコーディングが行われ、最終的に80分のアルバムとなった。今聴くと彼らが影響を受けていたヒップホップ、サーフ・ロック、カリプソ、ファンク、ニュー・ウェーブ、アフロビートという幅広いジャンルの要素がテープ全体に散りばめられ見事に融合していることが分かる。また、ミックのエレクトリックなサウンドが詰まったプロダクションとなっている。バンド史上最高のアルバムではないにしても、バンド史上最も興味深い芸術作品の一つであることは間違いない。しかし、メンバーの反応は圧倒的に否定的なものだった。「全部が全部、ラーガである必要はあるのか?!」。冗長なアルバムを聴いたバンドのマネージャーは、こう怒りを露わにした。そこで、ミックのやりたい放題で目的のないアルバムと評価したジョーは同アルバムをより商業的な1枚組のアルバムにするために名プロデューサーのグリン・ジョンズを起用した。ミックはアルバムから5曲取り出し、さらに別の5曲をそれぞれ2分の長さに短縮し、ミニマルなサウンドに仕上げた。こうしてクラッシュは46分間のロック・アルバムを完成させた。同アルバムはよりふさわしい「コンバット・ロック」というタイトルで82年にリリースされている。

ブルース・スプリングスティーン - Electric Nebraska 1982年
アルバム「ネブラスカ」の元となったのはブルース・スプリングスティーンが82年の1月の最初の週にニュージャージーの自宅でレコーディングした、アコースティックのベーシックな作品だった。Portastudioのカセットレコーダーで録音された、ギターと重ね録りをミニマルに行ったヴォーカルのデモ曲15曲は、後はEストリート・バンドのアレンジを加えるだけの状態だった。前作に比べてダウンビートで暗い曲は家族との問題とスーパースターとしての孤独感に立ち向かうブルース・スプリングスティーンの不安が反映されている。翌月、ブルース・スプリングスティーンとバンドはニューヨークのスタジオに集まり、プライベートな内容の曲にEストリート色を加えた。その作業が進むにつれて「ボス」ことブルース・スプリングスティーンはオーケストラのアレンジがふんだんに加えられたセッションに不満を募らせた。「彼らは歌詞を台無しにしたんだ」と彼は英アンカット誌に話している。「うまくいかなかった。あの2つのスタイルは合わなかったんだ。バンドはやって来て騒音を出すんだけど、あの歌詞には騒音は必要なかったんだ」。ブルース・スプリングスティーンはビッグバンド的なサウンドよりも繊細なデモテープのサンドの方がはるかに良いと判断した。その結果、スタジオでのレコーディング・セッションは中止され、ホーム・セッションで収録された10曲が「ネブラスカ」というタイトルでリリースされた。数十年の間、「エレクトリック・ネブラスカ」として収録された曲の正確な数は明らかになっていなかったが、2010年にローリングストーン誌とのインタヴューの中でドラマーのマックス・ワインバーグがアルバムの存在を認めた。「Eストリート・バンドは実際に「ネブラスカ」の全曲をレコーディングしたし、曲はかなり良かったんだ」とマックスは話していた。「全部妥協のないものだった。素晴らしいものだったけどブルースが世に送り出したいものではなかったんだ。フルバンド・バージョンの「ネブラスカ」は存在する。レコーディングされたものがどこかにあるんだ」。

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