つれづれなるままにWINGSFAN
Tribute Vlog for Paul McCartney & Wings
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ポール・マッカートニー / ポール・マッカートニー
日本盤 SHM-CD 紙ジャケ仕様(英国初回盤LPをミニチュア再現)、解説・歌詞・対訳付、日本初回盤LP帯を可能な限り再現した巻き帯付
日本盤 LP 直輸入盤仕様、カラー・ヴィニール(レッド)、解説・歌詞・対訳付、日本初回盤LP帯を可能な限り再現した巻き帯付
日本盤 LP 直輸入盤仕様、ブラック・ヴィニール、解説・歌詞・対訳付、日本初回盤LP帯を可能な限り再現した巻き帯付
輸入盤 CD デジパック仕様
輸入盤 LP カラー・ヴィニール(レッド)
輸入盤 LP ブラック・ヴィニール

ラム / ポール&リンダ・マッカートニー
日本盤 SHM-CD 紙ジャケ仕様(英国初回盤LPをミニチュア再現)、解説・歌詞・対訳付、日本初回盤LP帯を可能な限り再現した巻き帯付
日本盤 LP 直輸入盤仕様、カラー・ヴィニール(イエロー)、解説・歌詞・対訳付、日本初回盤LP帯を可能な限り再現した巻き帯付
日本盤 LP 直輸入盤仕様、ブラック・ヴィニール、解説・歌詞・対訳付、日本初回盤LP帯を可能な限り再現した巻き帯付
輸入盤 CD デジパック仕様
輸入盤 LP カラー・ヴィニール(イエロー)
輸入盤 LP ブラック・ヴィニール

バンド・オン・ザ・ラン / ポール・マッカートニー&ウイングス
日本盤 SHM-CD 紙ジャケ仕様(英国初回盤LPをミニチュア再現)、解説・歌詞・対訳付、日本初回盤LP帯を可能な限り再現した巻き帯付
日本盤 LP 直輸入盤仕様、カラー・ヴィニール(ホワイト)、解説・歌詞・対訳付、日本初回盤LP帯を可能な限り再現した巻き帯付
日本盤 LP 直輸入盤仕様、ブラック・ヴィニール、解説・歌詞・対訳付、日本初回盤LP帯を可能な限り再現した巻き帯付
輸入盤 CD デジパック仕様
輸入盤 LP カラー・ヴィニール(ホワイト)
輸入盤 LP ブラック・ヴィニール

ヴィーナス・アンド・マース / ウイングス
日本盤 SHM-CD 紙ジャケ仕様(英国初回盤LPをミニチュア再現)、解説・歌詞・対訳付、日本初回盤LP帯を可能な限り再現した巻き帯付
日本盤 LP 直輸入盤仕様、カラー・ヴィニール(レッド&イエロー)、解説・歌詞・対訳付、日本初回盤LP帯を可能な限り再現した巻き帯付
日本盤 LP 直輸入盤仕様、ブラック・ヴィニール、解説・歌詞・対訳付、日本初回盤LP帯を可能な限り再現した巻き帯付
輸入盤 CD デジパック仕様
輸入盤 LP カラー・ヴィニール(レッド&イエロー)
輸入盤 LP ブラック・ヴィニール

スピード・オブ・サウンド / ウイングス
日本盤 SHM-CD 紙ジャケ仕様(英国初回盤LPをミニチュア再現)、解説・歌詞・対訳付、日本初回盤LP帯を可能な限り再現した巻き帯付
日本盤 LP 直輸入盤仕様、カラー・ヴィニール(オレンジ)、解説・歌詞・対訳付、日本初回盤LP帯を可能な限り再現した巻き帯付
日本盤 LP 直輸入盤仕様、ブラック・ヴィニール、解説・歌詞・対訳付、日本初回盤LP帯を可能な限り再現した巻き帯付
輸入盤 CD デジパック仕様
輸入盤 LP カラー・ヴィニール(オレンジ)
輸入盤 LP ブラック・ヴィニール

マッカートニーII / ポール・マッカートニー
日本盤 SHM-CD 紙ジャケ仕様(英国初回盤LPをミニチュア再現)、解説・歌詞・対訳付、日本初回盤LP帯を可能な限り再現した巻き帯付
日本盤 LP 直輸入盤仕様、カラー・ヴィニール(クリア)、解説・歌詞・対訳付、日本初回盤LP帯を可能な限り再現した巻き帯付
日本盤 LP 直輸入盤仕様、ブラック・ヴィニール、解説・歌詞・対訳付、日本初回盤LP帯を可能な限り再現した巻き帯付
輸入盤 CD デジパック仕様
輸入盤 LP カラー・ヴィニール(クリア)
輸入盤 LP ブラック・ヴィニール

タッグ・オブ・ウォー / ポール・マッカートニー
日本盤 SHM-CD 紙ジャケ仕様(英国初回盤LPをミニチュア再現)、解説・歌詞・対訳付、日本初回盤LP帯を可能な限り再現した巻き帯付
日本盤 LP 直輸入盤仕様、カラー・ヴィニール(ブルー)、解説・歌詞・対訳付、日本初回盤LP帯を可能な限り再現した巻き帯付
日本盤 LP 直輸入盤仕様、ブラック・ヴィニール、解説・歌詞・対訳付、日本初回盤LP帯を可能な限り再現した巻き帯付
輸入盤 CD デジパック仕様
輸入盤 LP カラー・ヴィニール(ブルー)
輸入盤 LP ブラック・ヴィニール

パイプス・オブ・ピース / ポール・マッカートニー
日本盤 SHM-CD 紙ジャケ仕様(英国初回盤LPをミニチュア再現)、解説・歌詞・対訳付、日本初回盤LP帯を可能な限り再現した巻き帯付
日本盤 LP 直輸入盤仕様、カラー・ヴィニール(シルヴァー)、解説・歌詞・対訳付、日本初回盤LP帯を可能な限り再現した巻き帯付
日本盤 LP 直輸入盤仕様、ブラック・ヴィニール、解説・歌詞・対訳付、日本初回盤LP帯を可能な限り再現した巻き帯付
輸入盤 CD デジパック仕様
輸入盤 LP カラー・ヴィニール(シルヴァー)
輸入盤 LP ブラック・ヴィニール

上記8タイトル・セット(ユニバーサル・ミュージック・ストア限定発売) / ポール・マッカートニー&ウイングス
日本盤 SHM-CD 紙ジャケ仕様(英国初回盤LPをミニチュア再現)、解説・歌詞・対訳付、日本初回盤LP帯を可能な限り再現した巻き帯付
日本盤 LP 直輸入盤仕様、カラー・ヴィニール(8色)、解説・歌詞・対訳付、日本初回盤LP帯を可能な限り再現した巻き帯付
日本盤 LP 直輸入盤仕様、ブラック・ヴィニール、解説・歌詞・対訳付、日本初回盤LP帯を可能な限り再現した巻き帯付

ポール・マッカートニー/アーカイヴ・シリーズ

ザ・ビートルズ
SHM-CD 紙ジャケ プリーズ・プリーズ・ミー
SHM-CD 紙ジャケ ウィズ・ザ・ビートルズ
SHM-CD 紙ジャケ ハード・デイズ・ナイト
SHM-CD 紙ジャケ ビートルズ・フォー・セール
SHM-CD 紙ジャケ ヘルプ!
SHM-CD 紙ジャケ ラバー・ソウル
SHM-CD 紙ジャケ リボルバー
SHM-CD 紙ジャケ サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド
SHM-CD 紙ジャケ マジカル・ミステリー・ツアー
SHM-CD 紙ジャケ ザ・ビートルズ (ホワイト・アルバム)
SHM-CD 紙ジャケ イエロー・サブマリン
SHM-CD 紙ジャケ アビイ・ロード
SHM-CD 紙ジャケ レット・イット・ビー
SHM-CD 紙ジャケ パスト・マスターズ
SHM-CD 紙ジャケ ザ・ビートルズ 1962年~1966年 (赤盤)
SHM-CD 紙ジャケ ザ・ビートルズ 1967年~1970年 (青盤)

ザ・ビートルズ ステレオ盤 SHM-CD 紙ジャケット・シリーズ


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wingsfan@wingsfan.net


映画「ザ・ビートルズ ~ EIGHT DAYS A WEEK - The Touring Years」からわかる10の真実
ザ・ビートルズ ~ EIGHT DAYS A WEEK - The Touring Years

ロン・ハワード監督の新しいドキュメンタリー映画「Eight Days a Week」は、ビートルズがツアーに追われていた時代の新たな事実を伝えている。ジョン・レノンが入れる"喝"から米国初のビートルマニアの誕生まで、興味深いエピソード満載の映画が満を持して公開された。「1966年までザ・ビートルズは本気を出していなかった」と広く言われている。1966年のアルバム「リボルバー」は彼らが初めて本気を出した代表作で、一部では評判の良くないアルバム・ジャケットのデザインと共に有名な作品である。彼らの話す内容も宗教、戦争、人種問題など重いものとなり、さらにサイケデリック・ドラッグのせいで気も大きくなっていた。最も重要な点は、各地のベースボールスタジアムで生演奏するただのバンドから、1960年代のスウィンギング・ロンドンの実験的スタジオで製作した前衛的な作品を提供するどこか神秘的なアーティストへと変化を遂げたことにある。これはバンドがポップからロックへ、マッシュルームカットの青年から大人へ、モノクロからカラーへと変革した時期でもある。バンドはこの翌年、大きくステップアップするきっかけとなったアルバム「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」をリリースした。2016年10月に映画館とHuluで公開されたロン・ハワード監督による待望のドキュメンタリー映画「Eight Days a Week」はバンドの絶頂期を検証するというよりも、重要なポイントとなる背景を描写している。ビートルズのファイナル・コンサートから50周年を迎えた直後に公開されたこのドキュメンタリー映画では、彼らのめまぐるしいツアー生活を追っている。さらにこの映画は、最終的により重要なことを成し遂げたバンドのライヴ生活が、後から懐かしく思い出される熱狂にすぎなかった、という従来の固定観念を覆している。映画の前半でリンゴ・スターが言う。「とにかくプレイしたかった。プレイすることが最優先事項だった」。「Eight Days a Week」はビートルズ初期のエピソードをテクニカラーで美しく蘇らせている。20世紀半ばの歴史に愛着を持つロン・ハワード監督は「アポロ13」「フロスト×ニクソン」「ビューティフル・マインド」のようなビッグ・ヒットを飛ばしている。彼は長い間忘れ去られていたビートルズの記録映像を掘り起こし、映画として耐えうるだけの美しいクォリティに復元した。それらをすべてつなぎ合わせ、聖書にでも出てきそうな壮大なスケールで、とても半世紀前の映像とは思えない1本のドキュメンタリー映画に仕上げた。「当初の作業はシンプルに進んでいたが、最後に行くに従っていろいろ込み入ってきたんだ」とポール・マッカートニーのナレーションが入る。シンプルなことは決して悪くない。マッカートニーがよくおどけて言うように、レコーディング慣れする前のビートルズは「偉大なるちっぽけなロックンロール・バンド」だった。「Eight Days a Week」では、あっという間に駆け抜けたスリリングな時代の熱狂を感じながら、これまでに見たことのないビートルズにお目にかかることができる。

1. 期待を裏切らないビートルズのライヴ・シーン
ビートルズのコンサートを収めたカラー映像で、現存する最古のフィルムは1962年2月に撮影されたものだが、音声もなく状態もよくないため、当時のバンドの様子を伝えるにはクォリティが低すぎる。そこで「Eight Days a Wewk」では、1963年11月20日に撮影されたABCシネマ(マンチェスター)の映像を採用した。パテ・ニュース用に編集された「ビートルズが街にやってきた」というタイトルの6分半の短い映像で、「シー・ラヴズ・ユー」と「ツイスト・アンド・シャウト」をプレイするバンドと、会場に詰めかけた失神寸前の若い女性たちの興奮が伝わってくる。これはバンドがプレイする姿を捉えた初の音声入りのカラー映像とされ、ドキュメンタリー映画のオープニングを飾るにふさわしいプロフェッショナルな映像で、ビートルズ初期のコンサートの最前列に陣取った気分を味わえる。さらにハワード監督は、1962年8月22日にリヴァプールのキャヴァーン・クラブで撮影された有名な映像も採り入れた。マンチェスターのグレナダ・テレビジョン・ネットワークが撮影したモノクロ映像で、リンゴ・スターが正式メンバーとなって間もない時期の貴重な映像である。映像に見られるリンゴ・スターだけは、まだバンドのトレードマークであるマッシュルームカットではなく、垢抜けていない感じがする。これは、ビートルズの4人が初めて揃って撮影された音声入りの歴史的な映像である。

2. リンゴ・スターとの出会いを語る時、今なお涙を浮かべるマッカートニー
ビートルズ結成時のドラマーはピート・ベストだった、というのは有名な話である。1962年2月、キャヴァーン・クラブでのギグにベストが体調を崩して来られなくなった時、代役として呼ばれたのが地元でドラムを叩いていたリンゴ・スターだった。その数ヵ月前、他のメンバーとスターとは、ドイツのハンブルクにある歓楽街での公演時に、スターが在籍したバンド、ロリー・ストーム&ザ・ハリケーンズと共演したことがきっかけで友人になっていた。それまでスターはビートルズと一緒にプレイしたことはなかったが、代役の申し出を喜んで受け入れた。いつもは冷静なマッカートニーであるが、ファブ・フォーが初めて顔を揃えた日を振り返る時は、目に涙を浮かべた。「バン! と彼が入ってきて目が合った瞬間にこれだ!と思ったね。感動したよ」。スターも同じく好意的な印象を受けたようだった。「俺はひとりっ子なんだけど、いっぺんに兄弟が3人増えたような感じだった」。これをきっかけにスターは1962年8月、ビートルズの正式メンバーとなる。

3. 苦しい状況の時、ビートルズが叫ぶ掛け声
売れるまでの時代をメンバーたちはただ懐かしく振り返るだろうが、そこへ至る道は常に順調というわけではなかった。会場からの絶叫と大金を手にする前、彼らはほんの少しばかりの報酬を得るためにハンブルクで毎晩8時間プレイし、清掃用具庫を改装した部屋で眠った。リヴァプール時代は、会場の停電やトイレ詰まりによるステージの中断、バンの事故、地元ギャングや嫉妬に駆られたファンの女の子のボーイフレンドに殴られるなど、混乱状態だった。精神的に落ち込んだ時ジョン・レノンは、ユーモアと励ましの言葉でその暗いムードを吹き飛ばそうとした。「バンドの雰囲気が悪くてバラバラだと感じた時や、安い契約でひどい楽屋に押し込められているような時、"俺が掛け声を掛けるから、みんな後に続け"ってよく言ったものさ」と、レノンはインタヴューで当時を振り返っている。「"どこを目指す?!と俺が叫ぶと、頂点だ、ジョニー!"と返す。そして頂点はどこだ?!と言えば"ポップ界のトップだ、ジョニー!"と応える。いいぞ、その通りだ!と俺が締めくくる。こんな感じでみんなに喝を入れていたんだ」。

4. 狭い1室での寝泊まりからプラザホテルのフロアを貸し切るまで ── そしてまたひとつの部屋へ
ハンブルクでの下積み時代、ビートルズの生活環境は、人権侵害並みにひどいものだった。4人は何ヵ月間も、小さな映画館の奥にある窓のないコンクリートの壁に囲まれた用具庫で暮らした。暖房もなく、二段ベッドで英国国旗を毛布代わりに寒さをしのいだ。毎晩のステージが終わると寒さに震えながら数時間うたた寝し、やがて昼間の映画が始まって起こされる、という毎日を過ごした。「ハンブルクでは1部屋に4人が寄り添って、本当にひどい暮らしだった。バスルームも何にもなかった」とジョージ・ハリスンは振り返る。部屋のすぐ隣に女性用トイレがあり、部屋にいても音が聞こえる上に臭いもひどかった。彼らはトイレの水で体を洗い、髭を剃った。それからわずか3年後の1964年2月、ビートルズはニューヨーク市の超高級なプラザホテルに宿泊し、VIP待遇を受けていた。バンドとスタッフたちは、プレジデンシャル・スイート10室を含む12階のほとんどの客室を占拠していた。そんな広々としたスペースがあったにもかかわらず、4人は狭い場所を好んだ。「プラザホテルの1フロアを貸し切り状態だったけれど、俺たち4人はもの凄いプレッシャーから逃れるため、結局バスルームに籠もっていたんだ」と、スターは振り返る。

5. 北米でのラジオ・デビューは、ある米国初のビートルマニアのティーンエイジャーのおかげ
「Eight Days a Week」では、ビートルズの曲が1963年12月17日に米国で初めてラジオで流された音源も聴くことができる。その数ヵ月後にバンドは、エド・サリヴァン・ショーで米国でのテレビ初出演を果たすが、それと同じくらい重要な出来事だった。メリーランド州シルバースプリングの15歳の少女、マーシャ・アルバートがラジオ局へリクエストを送ったことがきっかけだった。彼女こそ米国におけるビートルマニア第1号だった。エド・サリヴァン・ショー出演以前の1963年12月10日、ビートルズはCBSイブニングニュースに取り上げられている。番組を家で観ていたアルバートは、そこで流れた曲をとても気に入った。バンドの最新シングル「抱きしめたい」は、その時まだ米国ではリリースされていなかったが、ブリティッシュ・エアウェイズのフライト・アテンダントにハンドキャリーを依頼し、入手した。彼女はこの素晴らしい音楽を他の人々と共有したいと思い、ワシントンDCのラジオ局WWDCの有名DJキャロル・ジェイムズへ手紙を書いた。「ここ米国でこの素晴らしい音楽を聴きたいと思いませんか?」。アルバートの熱意に打たれたジェイムズは彼女をラジオ局へ招き、彼女の持っていたレコードをかけた。「番組をお聴きの皆さん、米国初登場のビートルズの曲「抱きしめたい」をお送りします」と紹介し、レコードに針を落とした。これが大きな水門を開けることとなった。その後ラジオ局には曲へのリクエストが洪水のように押し寄せ、その結果ビートルズの米国のレーベル、キャピトル・レコードは米国でのリリース予定を数週間繰り上げた。「何があってもビートルズは米国を制したでしょう」と、歴史家のマーティン・ルイスは2004年にUSAトゥデイ紙に語っている。「しかし、ビートルズがあんなにも早く米国での人気が爆発したのは、マーシャ・アルバートのおかげに他ならないでしょう。当初の予定通り冬休みも終わった1月13日にシングルがリリースされていたら、米国の少年少女たちは1日に20回もこの曲を聴く機会がなく、3週間で100万枚という売上も実現しなかったに違いないでしょう。さらにビートルズが渡米した際、JFK空港に1万人ものファンが押し寄せることもなかったでしょう。マーシャは米国におけるビートルマニアの発端どころではなく、彼女はビートルズ人気を急発進させたのです」。

6. 米国で最初のコンサート中、いくつかの重大な技術的問題が発生していた
1964年2月9日のエド・サリヴァン・ショーはビートルズの歴史に残る象徴的なシーンのひとつだが、バンドの米国初の本格的コンサートはそれから2日後、ワシントンDCのワシントン・コロシアムで行われた。ボクシングの試合用に作られたアリーナに設置されたロープなしのセンターリングの上で、12曲35分間プレイした。8,092人のファンが絶叫し、メンバーに四方八方からジェリービーンズを投げつけた。チケットは完売したが、リングの周囲を取り囲む形で観客席が設置されていたため、バンドは観客の4分の1だけに向かってプレイすることになる。この問題を打開するため、ビートルズは3曲ごとに中断し、マイク、アンプ、ドラムセットを時計回りに90度回転させた。いかにも強引な解決策だったが、意外にも効果があった。所がコンサートの中盤でスターのドラムセットを回転できなくなってしまった。映像では、リンゴが力を尽くしてどうにかしようとする姿が観られる。レノンは信頼するローディーのマル・エヴァンスに向かって「マル、ドラムを回してくれ!」と叫んだ。エヴァンスは最終的に力づくでドラムセットを動かすことに成功した。それを見たレノンはステージ上から彼に向かって拍手を送った。スターはドラムセットに戻り、彼の最もエネルギッシュなドラム・パフォーマンスを続けた。

7. 1964年のツアーは公民権運動の勝利だった
映画「Eight Days a Week」はビートルズの音楽的な偉業の数々を追求すると同時に、めったに語られない公民権運動の勝利についても触れている。1964年の夏の終わりに行われた初のフルスケールの全米ツアーでディープ・サウスを訪れ、そこでメンバーは初めて人種差別の実態に直面した。4人は大きなショックを受け、猛烈に人種差別反対の立場を取るようになった。マッカートニーは、ツアーに同行したDJラリー・ケインに彼の気持ちを伝えている。「人を差別するなんて愚かでばかばかしいことだ。人間を動物と同じように扱ってはいけない。僕ら4人だけでなく英国国民は全員同じ気持ちさ。僕らのコンサートや僕らの国でこんなことは決して起こらない。もしあったとしたら、僕らはそんな人々の前でプレイしない」。フロリダ州ジャクソンヴィルで、バンドは彼らの信念を貫いた。会場となるゲイター・ボウルでは人種別に席が分けられていたが、バンドは「その境界を取り払うまでプレイしない」とコンサートの開始を拒否した。コンサートを中止した場合のビートルズ・ファンによる暴動のリスクを回避するため、プロモーターはバンドの要求を受け入れ、人種別の観客席を廃止した。これ以降、ビートルズのコンサートで席が人種別に分けられることはなかった。「僕らはすべての人々のためにプレイしているんだ。この人、とかあの人という特定の人たちのためにプレイしだいんじゃない。ただ皆のためにプレイしたかったんだ」とスターは語っている。

8. 映画「ヘルプ! 4人はアイドル」のバハマ・ロケは税務署員から逃れるためだった
窮屈なバックステージのありのままの雰囲気を描いた前作「ハード・デイズ・ナイト」と比べ、大規模予算の付いた「ヘルプ! 4人はアイドル」(1965年)はフルカラー撮影で、世界中を旅するバンドを描いている。脚本には、ビートルズが訪れたいと思っていたいくつかの海外ロケが組み込まれた。リヴァプールの若者のウィッシュリストに太陽の光り輝くバハマのビーチが入るのは理解できる。しかし実際は、ジョージ・ハリスンにつきまとう税務署員から逃れるための渡航だった。「僕らが税金対策について話し合った時、バハマかどこかへ財産を移した方がいい、というアドバイスを受けたんだ」とマッカートニーは振り返る。バンドのファイナンシャル・アドバイザーは、当時の英国領にタックスシェルターを設けた。ただし条件として、その場所にまる1年間住居を構える必要があった。善意の証として、メンバーはバハマの彼の住居を訪れる計画を立てた。「ちょうど映画出演の打診を受けたので、僕らはバハマで撮影するのはどうだろう?と言ってみたんだ」。ビートルズの言葉は絶対で、監督のリチャード・レスターは彼らの希望を実現しなければならなかった。「バハマで撮影しましょう。シーンを書き足しましたと僕らは言われたんだ」。

9. 空前のシェイ・スタジアムでのコンサートに集まった5万5000人の観客の中に、若きウーピー・ゴールドバーグがいた
1965年8月15日、ビートルズはニューヨーク市のシェイ・スタジアムで夏の全米ツアーをスタートさせた。これは初のスタジアムでのロック・コンサートとなった。ニューヨーク・メッツの新しい本拠地には5万5000人を超えるビートルマニアが集結したが、これは当時の音楽イベントの最高記録だった。会場には、1981年にスターの妻となる女優のバーバラ・バックや、マッカートニーと結婚するリンダ・イーストマンもいた。バックは彼女の妹の付き添いとしてたまたまコンサートに来ていた。一方イーストマンは、音楽をかき消してしまうほどの絶叫にうんざりしていた。さらに当時9歳だったケイリン・エレイン・ジョンソン、後のウーピー・ゴールドバーグも、母親からのサプライズ・プレゼントでその場にいた。「このコンサートが告知された時、ママからはこんなコンサートへ行くお金はないわねと言われたの」と、ゴールドバーグは映画の中で回想している。「どうやったかはわからないけど、ママは2枚のチケットを手に入れて、当日まで私には黙っていたのよ。その日ママがさあ、出かけるわよと言うから私はどこへ?って聞いたの。着いたらわかるわ」。母と娘は長い時間地下鉄に乗り、クイーンズへ向かった。娘はますます困惑した。「地下鉄を降りるとここはどこ?ってママに聞いたわ。ママはここはシェイ・スタジアムよと教えてくれた。なんで?と言うとママは2枚のチケットを見せてくれた。もう私の頭はこんなよ」と、ゴールドバーグは爆発の仕草をしてみせた。

10. ビートルズはコンサート中に何度か死にかけている
ビートルマニアの熱狂が絶頂の頃のツアーは、危険を伴うビジネスだった。観客数は増大し、会場の熱狂も度を超えていた。「楽屋口へ車をつけると、メンバーは待ち構えていた若者たちに壁に押し付けられて潰されそうになっていた」と、メンバーに同行していたDJのケインがラジオ番組で証言している。「彼らは石やジェリービーンズにサンダルや下着まで投げつけたために、50枚もの窓が割れていた。警官が全力で静止しようとしていたが、大混乱は収まらなかった」。これはただ1回の出来事ではない。1964年にバンクーバーで行われたコンサートでは、7000人の若者たちがバリケードを突破してステージへ押し寄せ、240名が病院へ搬送された。ビートルズの広報担当デレク・テイラーは、各地での警官隊のふがいなさを嘆いた。「地元の警官たちは口々に言うんだ。地元の人間のことはよくわかっている。自分たちの力で事態は収拾できるってね。でも彼らはビートルズ目当てに集まる群衆の規模をわかっていなかった。彼らの地元で起きた最も大きなイベントだったろう。彼らにとっては前代未聞の事態だったに違いない。プレスリーやシナトラやケネディ元大統領なんて比ではないんだ。ビートルズなんだよ」。1966年まで危険度は上がり続けた。コンサート会場が大規模になるにつれ、暴動が起きる可能性も増大した。ロサンゼルスのドジャー・スタジアムで行われたコンサートは、ステージに観客が殺到し、警棒を振り回す警官たちと衝突したために中断した。数十名が負傷し、当局による事態の収拾に2時間かかった。さらに、レノンによる宗教絡みの発言が発端となったと思われる脅迫も多く受けた。秘密結社クー・クラックス・クランのメンバーが多くのコンサート会場でピケを張り、メンバーへの襲撃を予告した。天候までもが彼らの敵に回ったように思われた。屋外スタジアムの多くはどしゃ降りの雨に弱く、いくつかのコンサートは中断を余儀なくされた。エレキギターを抱え、アンプやマイクに囲まれたステージ上は、感電死の危険と隣り合わせだった。「飛行機でセントルイスへ着くと、そこは豪雨だった」とツアー・ローディーのエド・フリーマンは振り返る。彼はビートルズのサポートバンドを務めたザ・リメインズの知り合いだったという理由で、ローディーの仕事を得ていた。「俺の仕事は機材裏でプラグを握って、メンバーの誰かが感電して倒れたらプラグを引き抜き、コンサートを止めることだった。まあ冗談みたいな話だけどさ」。それから数日後、ビートルズはコンサート活動の終結を宣言した。

Thanks! ローリングストーン

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