つれづれなるままにWINGSFAN
Tribute Vlog for Paul McCartney & Wings
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ポール・マッカートニー / ポール・マッカートニー
日本盤 SHM-CD 紙ジャケ仕様(英国初回盤LPをミニチュア再現)、解説・歌詞・対訳付、日本初回盤LP帯を可能な限り再現した巻き帯付
日本盤 LP 直輸入盤仕様、カラー・ヴィニール(レッド)、解説・歌詞・対訳付、日本初回盤LP帯を可能な限り再現した巻き帯付
日本盤 LP 直輸入盤仕様、ブラック・ヴィニール、解説・歌詞・対訳付、日本初回盤LP帯を可能な限り再現した巻き帯付
輸入盤 CD デジパック仕様
輸入盤 LP カラー・ヴィニール(レッド)
輸入盤 LP ブラック・ヴィニール

ラム / ポール&リンダ・マッカートニー
日本盤 SHM-CD 紙ジャケ仕様(英国初回盤LPをミニチュア再現)、解説・歌詞・対訳付、日本初回盤LP帯を可能な限り再現した巻き帯付
日本盤 LP 直輸入盤仕様、カラー・ヴィニール(イエロー)、解説・歌詞・対訳付、日本初回盤LP帯を可能な限り再現した巻き帯付
日本盤 LP 直輸入盤仕様、ブラック・ヴィニール、解説・歌詞・対訳付、日本初回盤LP帯を可能な限り再現した巻き帯付
輸入盤 CD デジパック仕様
輸入盤 LP カラー・ヴィニール(イエロー)
輸入盤 LP ブラック・ヴィニール

バンド・オン・ザ・ラン / ポール・マッカートニー&ウイングス
日本盤 SHM-CD 紙ジャケ仕様(英国初回盤LPをミニチュア再現)、解説・歌詞・対訳付、日本初回盤LP帯を可能な限り再現した巻き帯付
日本盤 LP 直輸入盤仕様、カラー・ヴィニール(ホワイト)、解説・歌詞・対訳付、日本初回盤LP帯を可能な限り再現した巻き帯付
日本盤 LP 直輸入盤仕様、ブラック・ヴィニール、解説・歌詞・対訳付、日本初回盤LP帯を可能な限り再現した巻き帯付
輸入盤 CD デジパック仕様
輸入盤 LP カラー・ヴィニール(ホワイト)
輸入盤 LP ブラック・ヴィニール

ヴィーナス・アンド・マース / ウイングス
日本盤 SHM-CD 紙ジャケ仕様(英国初回盤LPをミニチュア再現)、解説・歌詞・対訳付、日本初回盤LP帯を可能な限り再現した巻き帯付
日本盤 LP 直輸入盤仕様、カラー・ヴィニール(レッド&イエロー)、解説・歌詞・対訳付、日本初回盤LP帯を可能な限り再現した巻き帯付
日本盤 LP 直輸入盤仕様、ブラック・ヴィニール、解説・歌詞・対訳付、日本初回盤LP帯を可能な限り再現した巻き帯付
輸入盤 CD デジパック仕様
輸入盤 LP カラー・ヴィニール(レッド&イエロー)
輸入盤 LP ブラック・ヴィニール

スピード・オブ・サウンド / ウイングス
日本盤 SHM-CD 紙ジャケ仕様(英国初回盤LPをミニチュア再現)、解説・歌詞・対訳付、日本初回盤LP帯を可能な限り再現した巻き帯付
日本盤 LP 直輸入盤仕様、カラー・ヴィニール(オレンジ)、解説・歌詞・対訳付、日本初回盤LP帯を可能な限り再現した巻き帯付
日本盤 LP 直輸入盤仕様、ブラック・ヴィニール、解説・歌詞・対訳付、日本初回盤LP帯を可能な限り再現した巻き帯付
輸入盤 CD デジパック仕様
輸入盤 LP カラー・ヴィニール(オレンジ)
輸入盤 LP ブラック・ヴィニール

マッカートニーII / ポール・マッカートニー
日本盤 SHM-CD 紙ジャケ仕様(英国初回盤LPをミニチュア再現)、解説・歌詞・対訳付、日本初回盤LP帯を可能な限り再現した巻き帯付
日本盤 LP 直輸入盤仕様、カラー・ヴィニール(クリア)、解説・歌詞・対訳付、日本初回盤LP帯を可能な限り再現した巻き帯付
日本盤 LP 直輸入盤仕様、ブラック・ヴィニール、解説・歌詞・対訳付、日本初回盤LP帯を可能な限り再現した巻き帯付
輸入盤 CD デジパック仕様
輸入盤 LP カラー・ヴィニール(クリア)
輸入盤 LP ブラック・ヴィニール

タッグ・オブ・ウォー / ポール・マッカートニー
日本盤 SHM-CD 紙ジャケ仕様(英国初回盤LPをミニチュア再現)、解説・歌詞・対訳付、日本初回盤LP帯を可能な限り再現した巻き帯付
日本盤 LP 直輸入盤仕様、カラー・ヴィニール(ブルー)、解説・歌詞・対訳付、日本初回盤LP帯を可能な限り再現した巻き帯付
日本盤 LP 直輸入盤仕様、ブラック・ヴィニール、解説・歌詞・対訳付、日本初回盤LP帯を可能な限り再現した巻き帯付
輸入盤 CD デジパック仕様
輸入盤 LP カラー・ヴィニール(ブルー)
輸入盤 LP ブラック・ヴィニール

パイプス・オブ・ピース / ポール・マッカートニー
日本盤 SHM-CD 紙ジャケ仕様(英国初回盤LPをミニチュア再現)、解説・歌詞・対訳付、日本初回盤LP帯を可能な限り再現した巻き帯付
日本盤 LP 直輸入盤仕様、カラー・ヴィニール(シルヴァー)、解説・歌詞・対訳付、日本初回盤LP帯を可能な限り再現した巻き帯付
日本盤 LP 直輸入盤仕様、ブラック・ヴィニール、解説・歌詞・対訳付、日本初回盤LP帯を可能な限り再現した巻き帯付
輸入盤 CD デジパック仕様
輸入盤 LP カラー・ヴィニール(シルヴァー)
輸入盤 LP ブラック・ヴィニール

上記8タイトル・セット(ユニバーサル・ミュージック・ストア限定発売) / ポール・マッカートニー&ウイングス
日本盤 SHM-CD 紙ジャケ仕様(英国初回盤LPをミニチュア再現)、解説・歌詞・対訳付、日本初回盤LP帯を可能な限り再現した巻き帯付
日本盤 LP 直輸入盤仕様、カラー・ヴィニール(8色)、解説・歌詞・対訳付、日本初回盤LP帯を可能な限り再現した巻き帯付
日本盤 LP 直輸入盤仕様、ブラック・ヴィニール、解説・歌詞・対訳付、日本初回盤LP帯を可能な限り再現した巻き帯付

ポール・マッカートニー/アーカイヴ・シリーズ

ザ・ビートルズ
SHM-CD 紙ジャケ プリーズ・プリーズ・ミー
SHM-CD 紙ジャケ ウィズ・ザ・ビートルズ
SHM-CD 紙ジャケ ハード・デイズ・ナイト
SHM-CD 紙ジャケ ビートルズ・フォー・セール
SHM-CD 紙ジャケ ヘルプ!
SHM-CD 紙ジャケ ラバー・ソウル
SHM-CD 紙ジャケ リボルバー
SHM-CD 紙ジャケ サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド
SHM-CD 紙ジャケ マジカル・ミステリー・ツアー
SHM-CD 紙ジャケ ザ・ビートルズ (ホワイト・アルバム)
SHM-CD 紙ジャケ イエロー・サブマリン
SHM-CD 紙ジャケ アビイ・ロード
SHM-CD 紙ジャケ レット・イット・ビー
SHM-CD 紙ジャケ パスト・マスターズ
SHM-CD 紙ジャケ ザ・ビートルズ 1962年~1966年 (赤盤)
SHM-CD 紙ジャケ ザ・ビートルズ 1967年~1970年 (青盤)

ザ・ビートルズ ステレオ盤 SHM-CD 紙ジャケット・シリーズ


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ポール・マッカートニー&ウイングス
のトリビュート LIVE フェスティバル
WINGSFAN をプロデュースしてい
ます。このブログは私が日常生活
の中で興味を持ったことやウイン
グスや WINGSFAN などに関する
情報などを毎日掲載しています。 

wingsfan@wingsfan.net


ポール・マッカートニー、60年の音楽人生を振り返る ロング・インタビュー
2016.7 - 米ロング・アイランド

74歳にして精力的にツアーをこなし、チャートをいまだに気にするポール・マッカートニー。たぐいまれな60年の音楽人生を振り返ってくれた。

ポール・マッカートニーは若き日のメロディを思い出そうと、ロンドンのオフィスでアコースティックギターをかき鳴らしながら口ずさんでいる。まだリヴァプールでビートルズを始める前に、10代当時の友人ジョン・レノンと一緒に書いた未録音の曲の一つだ。「こんな感じだった」とマッカートニーは言うとギターでロカビリーのリズムを刻み、おなじみの張りのある声で歌う。「ボクらの愛なんてほんのお遊びだって言われた/ボクらの友情が始まった日に/ブルームーンなんて見えない/見えたためしがない/だってボクらの愛なんてほんのお遊びだったから」

「『ほんのお遊び(Just Fun)』さ」。マッカートニーは誇らしげにタイトルを明かす。「学校のノートにこういう歌詞を書き込んでいたんだ。ページの右上に"レノン=マッカートニー・オリジナル"と入れた。そんな地味な始まりだった。そこから積み上げていったのさ」

遠い昔の特別な思い出だが、現在74歳のマッカートニーは全米アリーナツアー中。まだまだ第一線を離れていない。

2回のロングインタヴュー(1回目はロンドン、2回目は1週間後にフィラデルフィアでのライヴ前の楽屋で実施)の間、マッカートニーはよく急に曲をやり始めた。ティーン時代の別の曲のコードを弾き、レイ・チャールズの『ホワッド・アイ・セイ』を少しだけ歌い、若かりし頃のミック・ジャガーの物まねをした。ザ・ビートルズがまだハンブルクの酒場で演奏していた時代、ジーン・ヴィンセントのナンバーを歌っていたレノンのまねまでしてくれた。

「ボクにとってはいつも魅力的なんだ。人前に立ってパフォーマンスすることは」とマッカートニーはフィラデルフィアで語った。「始めた頃から考えていたよ。自分に正直でありながら、みんなに気に入ってもらうにはどうすれば一番いいか、ってことをね」。この日はダークブルーの半袖シャツにジーンズという出で立ちで、裸足の両足をコーヒーテーブルの上に放り出している。楽屋として使っているトレーラーにはドア代わりにカーテンがつけられ、訪問者は入口付近のテーブルに置かれた赤いカウベルを鳴らす。マッカートニーいわく、「だってカーテンにノックできないだろ?」

マッカートニーはサウンドチェックを終えたばかりだったが、それ自体ショーと言えるものだった。演奏した12曲のほとんどは当夜のライヴでは披露されないもので、ビートルズの1964年のバラード『アイル・フォロー・ザ・サン』や、めったに聴けない71年の『ラム・オン』も含まれていた。マッカートニーは現在、この15年一緒にやってきたバンドと共に再びツアーに出ている。メンバーはギターのラスティ・アンダーソンとブライアン・レイ、キーボードのポール・〝ウィックス〟・ウィッケンズ、そしてドラムのエイブ・ラボリエル・ジュニアだ。レノン、ジョージ・ハリスン、リンゴ・スターとツアーに出るのを止めた夏から、ちょうど50年目に当たる(「雨に濡れながらひどいPAでやることもしょっちゅうだった」と、66年8月にサンフランシスコのキャンドルスティック・パークで締めくくったビートルズ最後のツアーをマッカートニーは振り返る)。

その狂乱の時代が、ロン・ハワード監督の新作ドキュメンタリー『ザ・ビートルズ〜EIGHT DAYS A WEEK ‐ The Touring Years』に描かれている。その公開に合わせてリリースされたアルバム『ライヴ・アット・ザ・ハリウッド・ボウル』には、64年と65年のライブ音源が新しいミックスを経て収録されている(ちなみに筆者がライナーノーツを書いている)。加えて、マッカートニーはソロ曲とウイングス時代の曲を集めた『ピュア・マッカートニー~オール・タイム・ベスト』も出している。10月には、2016年のライヴ活動の締めくくりに音楽フェス『デザート・トリップ』に出演。ボブ・ディランやザ・ローリング・ストーンズ、ニール・ヤングらの旧友と共にステージに立つ予定だ。

「化石ロックさ」とマッカートニーは笑う。「でもエキサイティングなんだ。ぜひともニールに電話して"おい、どう思ってるんだ?"って聞かないと」

ロンドンのオフィスでは、マッカートニーは自身のルーツと歴史に取り囲まれている。ビートルズ時代とウイングス時代の記念品が展示され、ファッツ・ドミノ、ワンダ・ジャクソン、エルヴィス・プレスリーの78回転レコードを載せたヴィンテージ物のジュークボックスがある。だが、作曲やステージについて彼が語る言葉のほとんどは現在形だ。最近のカニエ・ウェストとのコラボレーションを自己分析し、次のアルバムについて「歌詞のアイデアを探していた」と言う。「どこへ行ったって書ける。いろんなアイデアが浮かんでくるのさ」

それでも、ビートルズは基準として、生き続ける記憶として、常に彼の近くに存在する。「君と話せてよかった」とマッカートニーは1本目のインタヴューの終わりに言った。そしてバンド解散の数年後にレノンと会った時の思い出を語った。「ハグしてきたんだ。すごくよかった。普段そんなことしなかったからね。そしてこんなことを言ってきた。"触れられてよかった"。それをいつも思い出すんだ――触れられてよかった、って言葉を」

―人生の現時点でも、あなたにとって演奏することが重要なのはなぜでしょう?

偉大なるリトルバンド、っていうこのアイデアはすごく魅力的だよ。根本にあるのはボクら全員が大好きな音楽だ。ルーツにあるのはナッシュヴィルのホールだったり、リヴァプールやハンブルクのクラブだったり。ショーの最後にお辞儀する時、自分にとって嬉しいことの一つは、それを5人でやれるってことさ。

それに教訓もいくつか学んだ。昔はミスをすることを恐れていた。でもミスしたって問題ないってことを知った。観客はむしろ喜ぶんだ。

―ステージ上で最後にした大きなミスはどんなものですか?

最後のは覚えてないけど、パリでのショーで『ペニー・レイン』を2番から歌い出してしまったんだ。"写真を飾った床屋"から入るべきところをね。だからこう思った。"歌詞を入れ替えよう――2番のあと1番をやって、それからサビに入ればいい"。ところが、バンドはちゃんとこう考えたんだ。"1番を飛ばしたな――そのままサビへいこう"。

ペニー・レインで自動車事故だ。もうこう言うしかなかった。"ストップ、ストップ。めちゃくちゃになってしまった。最初からやり直そう"。観客は大盛り上がりさ。最近亡くなった友人のシラ・ブラックが、ショーのあとボクの所へ来てこう言ったよ。"あれ、すごく良かったわ。毎晩やってるの?"

―人を楽しませたい、喜ばせたいという少年のような衝動に駆られたんでしょうか?

そうだと思うよ。音楽をやる者なら、人が気に入ってくれようがくれまいが関係ないっていう姿勢で何かをやろうとすることは、まずあり得ない。人に好かれたくない、って人も確かにいる。それはボクにとって驚きだけど、そういうイメージを売りたいだけじゃないかな。『ヘイ・ジュード』の歌詞にある"クールに振る舞う"とか、"自分の世界をちょっと冷たくする"とか、そんな感じだろう。

ビートルズでは、完全にボクが引っ張り役だった。すごくいい仕事をしていたと思うよ。郊外から都会に出てきて『レット・イット・ビー』を作るなんて、誰にもできないだろうね。映画はかなりヘンテコなものになってしまったけど、レコードはいい出来だったよ。

ハンブルクでボクらがやったことも、だいたいはボクが始めて、それから他のヤツらがついてきたんだ。客が来ない小さなビアホールで演奏していた。看板にビールが1.50マルクかそこらと書いてあった。学生が入って来ても"ああ無理だ"と言って出て行ってしまう。彼らはもっと安いものを探していたんだ。だからボクらは頑張らなきゃいけなかった。店の責任者に"マッハ ショウ(ショーをやれ)"と言われたよ。ジーン・ヴィンセントの『ダンス・イン・ザ・ストリート』をよくやった。率先して歌っていたのはジョンだった。"ボクがやろう――(手を叩きながら)今宵ストリートで踊ろうぜ!ヘイ、ヤー、エヴリバディ!カモン、カモン!"って。これで学生を呼び込めた。ボクらはこう思ったよ。"席に座らせ、そしたら自分たちの曲をやろう"。そして彼らは気に入ってくれたんだ。

―今のバンド内の力関係は?あなたに意見するのは誰でしょう?"自分たちはこうすべきだ"と進言できるメンバーはいますか?

そういう感じではないね。ビートルズはそうだった。ウイングスはそこまで言ってこなかった。そして今は"あなたのバンドですから"という暗黙の了解があるんだ。バランスをとるためにボクがしているのは、ノープランでリハーサルをすることだ。時にはボクがやりたくないこともある。けど、ヤツらはこう言う。"やるべきだ。きっとうまくいくよ"。

―メンバーの提案でうまくいったケースにはどんなものがありますか?

アビイ・ロード』の『ゴールデン・スランバー』から『ジ・エンド』まで。ちょっと大変だったよ。ボクは怠けていたんだ。ラスティは『デイ・トリッパー』をやろうと言ってきた。ボクはやりたくなかった。ベースのパートがすごく大変だからね。『ビーイング・フォー・ザ・ベネフィット・オブ・ミスター・カイト』もそう。ショーでやる曲のうち、ボクがやりたくなかった2曲だ。でも、やれば最高だってヤツらが言うものだからね。

同時に、ボクは独裁者でもある。そして誰もそれを問題だと思っていない――と思うよ(笑)。もうビートルズやウイングス以上に長く一緒にやっているからね。何かがうまくいっているんだろうね。それにシンプルになってきているから、どんどん良くなっていると思う。

―80歳で今みたいにツアーに出ているところを想像できますか?昔なら40歳でこれをやっていることさえ......。

想像できなかった。そして、らしくなかった。例えば17の時、ジョンのアートスクールに24のヤツがいた。気の毒に感じたね。嘆き悲しんでやったよ(笑)。それほど年寄りに思えたんだ。

ちょっとした知り合いのドリス・デイが、昔こう言ってきた。"歳なんてまぼろしよ"。最近、彼女にそれを思い出させてあげたんだ。誕生日祝いの言葉を伝えた時にね。歳は数字だと人は言う。歳をとるほど大きな数字になる。でも支障さえなければ、ボクは気にしない。無視したっていい。ボクはそうしているよ。

―映画の『レット・イット・ビー』の話が出ましたが、再公開される可能性はあるでしょうか?

もうとっくに再公開したような気がいつもしている。それについては長いこと話し合ってきたからね。

―何が障害になっているのでしょう?

さっぱり分からないよ。ボクはその話を持ち出し続けている。するとみんな"ああ、やろう"という話になる。反対しているのは自分かな。どうもうまくいかないんだ。

―つまりビートルズの作品について、あなたは世間に思われているほどレガシーを思いどおりにできないということですね?

アップル(・コア)は民主的なんだ。ボクは投票権のうちの一票を持っている。決めるのは全員だ。だれかがこう言う。"ロン・ハワードが映画を撮りたいらしい"。それに対してボクはYesかNoかを言わないといけない。どっちかというとYesだ。彼は優秀だからね。

―あなたとリンゴ、ヨーコ・オノ、オリヴィア・ハリスンの全員の意見が一致しないと決まらないんでしょうか?

そうさ。それがビートルズの秘密――3対1じゃダメなんだ。解散の頃はそのルールがうやむやになっていた。3対1での決定だったんだ。でも今は全会一致じゃなきゃダメ。ガール2人もビートルさ。

―考えるまでもなくNoという事案はありますか?4人とも版権を保有していないビートルズの楽曲について、皆さんはどんな種類の拒否権を行使できますか?

ボクらに拒否権はないよ。けど、センスよく扱ってほしいという意向は明確にしている。"もしできましたら、という話ですが"って(笑)。金銭的に申し分のないオファーであっても、ボクらには一定の線引きがある。例えばガソリンを食う車の宣伝には使えない。個人的にはマクドナルドの宣伝もダメ。自分の(ベジタリアンという)信念があるからね。

(ラスベガスでの)『Love』記念イベントも、もう少しで却下するところだった。ジョージがシルク・ドゥ・ソレイユの代表者と知り合いで、昔ショーに連れて行ってくれたんだ。ぶっ飛んだよ。ボクは(ビートルズとのコラボという)アイデアに乗った。けど世間は"いや、ビートルズの楽曲は神聖なものだ。そんなことはさせない。断じてさせない"という雰囲気だった。ボクは思ったね。"ちょっと待て、別に君たちの音楽じゃないぞ"。

―ファンはビートルズに関わろうとする際、時として非常に......。

自分のものみたいに主張してくる。ボクらは決して耳を貸さなかった。何かを求めてくるファンに"申し訳ないがディナー中なんで来ないでくれ"と言うと、こう返ってくる。"だってボクたちはあなたのレコードを買っているんです"。ボクらはこう言う。"見返りがほしくて買ってるなら、もう買わなくていい"。ボクらはいつもこんな感じだった。一番悲惨なのはリンゴだ。ファンに家にまでやって来られて、ヤツは"ふざけるな"と怒鳴ってドアをバタンと閉める。ヤツは有名人として騒がれることをまったく嬉しがっていなかった。線引きが必要なんだ。でなきゃ正気でいられないよ。

―ヨーコとの現在の関係を説明するならどんな感じでしょう?

実は本当にいい関係なんだ。(当時)ボクらはいわば脅されていた。レコーディングの間、彼女はアンプの上に座っていた。大抵のバンドなら、そんな状況ではやっていけない。ボクらはやっていけた。けど、それほどうまくやれたわけじゃない。4人のつながりは密接だったからね。ボクらは性差別をしていたわけじゃないけど、女子がスタジオに来ることはなかった。普通はボクらだけにしてくれたんだ。ジョンがヨーコと付き合いだすと、彼女はコントロールルームや端っこにはいなかった。ボクら4人の真ん中に入ってきたんだ。

―でもジョンとヨーコのアルバム『「未完成」作品第1番~トゥー・ヴァージンズ』のジャケットにはあなたの言葉が載っていますよね(2人の偉大な聖人のめぐり逢いは、覚醒をもたらす)。

ボクにとっての大きな覚醒は、ジョンがこの女性を愛するなら、それはどう転んでも正しいんだ、って気付いたことさ。どんな面倒があっても、それはボクが乗り越えるべきものなんだとわかった。最初はちょっと大変だったけど、徐々にボクらは乗り越えていった。今じゃ仲間みたいなものだ。ヨーコのことは好きだ(笑)。彼女はヨーコそのものなんだ。

―ビートルズのことを話し合うために4人が集まることは、どれぐらいありますか?

そんなに多くはない。リンゴとはよく会うよ。いいヤツだからね。みんなと会うのは社交の場だ。パーティへ行ったりとか。打ち合わせに関しては、ボクはちょっと距離を置いている。ボクはつらい解散の時期にアップルから出て行った。ジョン・イーストマンを送り込み、彼にこう言っていた。"みんなが言っていることを伝えてくれ。あのテーブルに座っているのは耐えられないから"。本当に心が痛んだよ。大好きなペットの死を見ているような感じだった。

今何をしているかと言えば、レコードを全部聴いている。じきに承認プロセスに入ることになる。けど、ビートルズのための仕事はほとんどやったよ。

―リリースする価値のあるものがまだ地下室に眠ってないでしょうか?

そこが問題なんだ――一体価値はあるのか、っていうところがね。ビートルズは結局、とんでもなくホットなリトルバンドだった。どの曲も、ボクらがひどいと思ったものでさえ、今聴いてみるとそんなに悪くない。なにしろビートルズだからね。

―『ホワイト・アルバム』や『サージェント・ペパーズ』の原本テープで何かできないでしょうか? 去年、ボブ・ディランが65〜66年のセッション音源をボックスセットでリリースしたような形で、この辺りのアルバムのメイキング音声を表に出すとか。

テイクの間のトークは昔から大好きだ。ボクらはいつも2トラックのレコーダーを回していた。ちょっとしたジャムが思いついた時のためにね。"テイク36、ってどんな感じだっけ?"。けど、実際にはボクらの会話集になっていた。特に気に入っているのが『アイ・ソー・ハー・スタンディング・ゼア』をやった時の会話だ。ボクがこう言う。"できないよ。プレックがないんだ"。ボクらはギターピックのことをプレクトラムと呼んでいた。で、ジョンが言う。"どこにあるんだ?"。強いリヴァプールなまりでね。"スーツケースの中じゃないかな"。するとジョンが"何やってんだよ、役立たず"。"役立たず?役立たずのケツを押しつけてやるよ"。

―学生のノリですね。

その後ビートルズは世慣れした。けど、学生のノリや軽口っていうのはやっぱりいいもんだね。「まだ眠っていないのか?」という君の質問に答えるなら、いくつか眠っている。価値があるかどうか?それはわからない。

―リンゴとツアーに出るのを考えたことはないですか?

考えたこともないね。ロックの殿堂みたいなことでは一緒になる。けど、一緒にツアーをやるとなると――まあ考えずにおいた方がいいだろう。

―"ビートルズ再結成"みたいな記事は誤りばかりということでしょうか?

ボクもヤツも、やろうともやるまいとも考えたことがないと思う。ボクらの道は並行して走っていて、たまに交差してまた離れたり。ヤツは偉大なドラマーだよ。それがリンゴの本質。他の誰にもない感覚を持っている。一緒にツアーに出るとなると、ややこしいことになるかもね。

―『デザート・トリップ』(2016年10月開催)ではローリング・ストーンズと一緒ですが、今のストーンズのライヴを観て何を感じますか?

まぼろしだね。昔から知っているリトルバンドそのままだ。ミックもキースもチャーリーもずっといるし、ロニーもすっかりストーンズらしくなった。いいロックンロール・バンドだと思う。まあビートルズほどではないけど(ニヤっと笑う)、いいバンドだよ。

―63年にあなたとジョンが『彼氏になりたい』をストーンズに提供した時、どれほどのポテンシャルを感じていましたか?この曲はストーンズ初のUKチャートトップ20入りを果たしています。

当時のシーンの他のバンドは全部見ていた。ダメなバンドはわかっていた。ライバルといえそうなバンドもわかっていた。シーンを知っておいてよかったよ。ボクらはストーンズの噂を聞いていた。ヤツらは(ロンドンの)ステーション・ホテルでプレイしていたんだ。ある晩ヤツらを見に行って、オーディエンスに紛れて立っていた。ミックがステージでグレーのジャケットを着ていつもの手拍子(速いリズムで手をたたく)をしていたのを覚えているよ。

デッカ・レコーズでビートルズをはねつけたヤツが、たまたまジョージに聞いてきたんだ。誰か歌えるヤツを知らないかって。ボクらはストーンズと仲良くなっていたから、その時、『彼氏になりたい』はヤツらに合ってるかもしれないと思ったんだ。ボ・ディドリーみたいな曲をやるのを知っていたからね。いい仕事をしてくれたよ。ボクとしては、ヤツらの最初のヒット曲を作ったのはボクらなんだって自慢したいんだ。実際そうだからね。

―あなたたちやストーンズのような偉大なリトルバンドが、今や巨大会場でプレイするようになっていますね。新しい楽曲だけで小さなホールをツアーするのを想像できますか?そのリスクに見合うリターンはあるでしょうか?

全然リスクじゃないさ。魅力的だよ。狭い場所で一緒にやるっていうのは、最高のプレイをするために必要な要素の一つだ。それを知ったのはビートルズ時代。ボクらはいつもアビイ・ロードの第2スタジオでレコーディングしていた。でも『ヤー・ブルース』を録るには密着感、狭苦しさが必要だという話になった。そこでボクらはマイクケーブルやら何やらがある小さな物置部屋に入って、ドラムキットを入れ、アンプを壁に向け、ジョンの前にマイクをセットした。そこで『ヤー・ブルース』ライヴをやったわけだけど、本当に良かったよ。

新しいことをしようとすれば、一歩先へ踏み込む必要がある。ビートルズのことでボクがいつも言っていることだが、そういうアイデアは出てくるものなんだ。アイデアを出そうと座って考え込まなくたっていい。ちょうど新しいアイデアが出て、提案してみる。ボクらはそれを採用するかもしれない。

―カニエ・ウェストとのコラボ曲の一つである『All Day』には、あなたが69年にギターで作って当時使わなかったメロディが入っています。どんな経緯で今回採用されたのでしょうか?

リンダとボクの間に第一子のメアリーが生まれた時のことだ。彼女は産後の回復途中だった。ボクは病院でその辺に座ってチップスをつまみながらギターを弾いていた。壁にはそれまで何日も目にしていた絵が飾ってあった――ピカソの『老いたギター弾き』だ。絵の中の男はギターをこんなふうに抱えていた(その絵のポーズをまねながら)。それを見てふと思ったんだ。"これはどんなコードなんだ?"。2弦のように見えた。"クールっていうのはどういうことだ?指2本だけで曲を作ることだよ"。それで、こんなのを作ったのさ(そのメロディを弾きながら)。

カニエにこの話をした。そして口笛で吹いてやった。彼のエンジニアはそれを録音していた。素材のプールに入れるためさ。カニエはとにかく何でも集める。ボクらは腰を据えて曲を書くんじゃなく、話し合ってアイデアを出し合った。ボクらが一緒にやった3曲、この曲とリアーナのレコード(『FourFiveSeconds』)と『Only One』を受け取った時、初めてわかった。「なるほど。彼はボクが口笛でちょっと吹いたのを使ってくれたわけか」。都会的なヒップホップのリフになってボクのところに戻って来たのさ。あのレコードはすごく気に入っているよ。

―コラボしたと感じましたか?それとも脇役のように感じましたか?セッションをして、曲が出来上がるまで終始見届けるのがいつものやり方ですよね?

ボクらはビヴァリー・ヒルズ・ホテルで何日か一緒に午後を過ごした。カニエとの約束は一つだけで、うまくいかなかった場合は誰にも言わないでおこう、ってことだった。彼の曲作りのシステムは知らなかった。こんな噂を聞いたことがあった。部屋にリフ作りをする連中がたくさんいて、彼はそこを歩き回ってこう言う。"それ、いいね"。アンディ・ウォーホルを思い出したよ。連中は学生を使って背景やらなんやらを描かせるんだ。常套手段さ。ボクはこう思った。"そんな中にどう溶け込めるかわからないけど、まあやってみるか。やってみないことには始まらない"。

―カニエは天才だと思いますか?

ボクはその言葉をむやみに使わない(笑)。彼は偉大なアーティストだと思う。例えば『マイ・ビューティフル・ダーク・ツイステッド・ファンタジー』。ボクは料理中にこのアルバムをかけていて感じた。"こりゃいい。正真正銘の革新性がある"。誘いの言葉が彼の取り巻きから、ボクの取り巻きを通して(笑)来た時、ボクはこう思った。"一緒にやってみよう"。

―ヒップホップをたくさん聴くのは聴きたいからですか?それとも時代についていくためでしょうか?

教育のため、といっていい。たくさん聴いたし、たまにコンサートも観に行く。ジェイ・Zとカニエのツアーも観に行ったよ。ドレイクのライヴも観た。あれが今の音楽だね。

―ヒップホップはあなたが作った音楽が66年、67年頃にそうだったのと同じぐらい、今の時代で重要なものだと感じますか?"ロックは死んだ""もはや勢いをなくした"とよく言われていますが。

それは時間が経ってみないとわからない。ボクがどうこう言うことじゃないね。けどエキサイティングだと思う。みんなクラブへ行って最高のヒップホップレコードを聴く――間違いなくビジネスになっているよ。『ア・デイ・イン・ザ・ライフ』と比べて批評するつもりはない。ボクにとってはレゲエみたいなものさ。自分にできるとはあまり思えないという意味でね。レゲエならボブ・マーリーやその他のレゲエの人に任せる。ヒップホップも同じだ。カニエとコラボできてエキサイティングだった。『All Day』で一役買えたし(微笑)。あの曲で最高のリフになった。

―カニエやデイヴ・グロールといった年下のアーティストたちとコラボする中で、ビートルズ内、特にジョンから受けたような挑戦を感じることはあるでしょうか?そもそも、その代わりになるものは今までにあったでしょうか?

いや、代えは利かないと思う。代えが利かないものもあるんだってことに、人はいつか気づかなくちゃいけない。ジョンとボクは小さい頃から同じ環境で同じ影響を受けながら一緒に育った。ボクが知るレコードをヤツは知っていたし、ヤツが知るレコードをボクは知っていた。一緒に初めて曲を書いた。無邪気なちょっとした曲だった。その後レコーディングされるような曲を書いた。年を追うごとに、ボクらはクールな服を着るようになった。するとクールな服に合うクールな曲を書くようになった。ボクらはエスカレーターの同じステップに乗っていた。最初からずっと。代えは利かないさ――この時間や友情、結束はね。

―新曲や新譜のことでアドバイスを求められる人は今いますか?

音楽ではいない。ビートルズに持ち込んだらどうなるだろう、っていう経験や知識が頼りさ。それが一番のモノサシなんだ。

―人生全般についてはどうですか?

とてもいい友人が何人かいる。ローン・マイケルズとはすごく仲がいい。彼とはいつも飲みに行っているよ。腹を割って話せるんだ。親戚や弟、妻もいる。ナンシーはそういう面ではすごく心強い。でも音楽ではそうじゃない。すごく難しいんだ。ジョン以上の相手はない。そしてジョンにとってポール以上の相手はいなかった。

―前回のスタジオアルバム『NEW』は音楽的にアップビート、感情的にポジティヴな作品でした。それ以前の数作は、これに比べてずっと暗く、『ケイオス・アンド・クリエイション・イン・ザ・バックヤード〜裏庭の混沌と創造』など、悲しいぐらいでした。当時はリンダの死やその後の私生活での苦難(2008年に2番目の妻ヘザー・ミルズと離婚)があって曲作りは大変だったでしょうか?

『NEW』はナンシーのことを書いたものだ。彼女はボクにとって新しい人だったのさ。いい気づきがあった。それでポジティヴな曲を書きたくなったんだ。音楽は精神科医みたいなもの。ギターには人に言えないことも言える。そしてギターは人が言ってくれない答えをくれる。でも、悲しい曲にも価値はある。悪いことだって起きる。その気持ちを抑え込みたくはない。それでギターと共に吐き出す。次のアルバムにもいくつかある。ちょっとこんな感じの曲がね(ショックを受けた素振りをする)。でもそれでいいんだ。曲でなら、そういうことができるんだから。それがブルースというもので、感情を吐き出すことができる。

―末娘のベアトリスちゃんは今年で13歳になりますが、あなたの過去をどれぐらい知っていますか?

子供は面白いものでね。"わかったわ、パパは有名なんでしょ――もうウンザリ"。その程度だよ。ライヴを観に来た時はこんな感じだ。"ああ、『バック・イン・ザ・U.S.S.R.』が気に入ったわ"とか、"あの曲はなあに?""『オール・マイ・ラヴィング』っていうんだ""あれが気に入ったわ"。大きくなるにつれ、だんだんわかってくる。大学へ行くと友達がこう言ってくるのさ。"ボクは『ラム』が好きなんだ""何それ?""君のパパのアルバムじゃないか"。

―ツアーに出ていない時は父親として普段どんなことをしていますか?

末っ子以外は大きくなったし、親権の関係で会えるのは月の半分だけ。だから全力で面倒を見るようにしている。朝起きて彼女の朝食を作り、学校まで車で送って行く。先生方に会い、最近の様子を聞く。サイレントオークションの賞品も寄付している。普通の父親がやっているのと同じことだよ。それが終わると飛行機に乗り、アメリカに来てロックスターになるのさ。

―あなたとリンダが70年代に農場で家庭を築いていた頃、音楽や名声との間でバランスをとるのはどれほど大変だったでしょうか?

ヒッピーに近かった。自宅学習みたいな感じだったね。ボクが書き方を教えたし、教えるのを楽しんでいた。学校へ行くようになると、ツアー中は家庭教師をつけた。ボクが学校へ行って、これから習う範囲を調べていたよ。地理とか歴史とか算数とか。そしてできる限りうまく教育計画を立てた。うまくいっていたよ。リンダとボクはいつもこう言っていた。"大事なのは善良な心を持つことだ"。子供はみんな持っている。それにすごく賢い。

―ビートルの子供たち――あなたのお子さんたち、ショーンとジュリアン・レノン、ダーニ・ハリスン、ザック・スターキー――は皆、分別のある強い人間に育ちました。ミュージシャンとして独り立ちしている人もかなりいます。世界ナンバーワンのビッグバンドが、その狂騒の中でどうやって親としてもうまくやれたのでしょう?

それがリヴァプールの土地柄なのさ。ボクらの家族はどこも結束が強かった。特にうちはね。ジョンの叔母さんも厳しかったと思う。いい意味で。リンゴはひとりっ子だったけど、お父さんとお母さんは立派な人だった。労働階級の街リヴァプールで育つと、うぬぼれたりすることはない。

ボクの家族には子供がたくさんいた。しょっちゅう赤ん坊を手渡されるんだ。もう慣れっこになるよ。ジョンは違ったけど、のちに赤ん坊の扱いを学んだ。ボクら4人はこういうルーツを持って出会った。ボクらには正しく、家族的にやりたいという気持ちがあった。人生でも音楽でも、共通の目標があり、共通の認識があった。

―自分では気に入っているのに過小評価または誤解されていると感じるアルバムはありますか?2012年に『ラム』を再発売した時は大好評でしたが、71年の最初のリリース時は酷評されていましたね。

まず頭に浮かんだのはそのアルバムだ。でも、ゆっくり座ってこれまでのアルバムを頭からチェックしたことがまだないんだよ。ショーでやるための曲を探している時は、近いことをやってはいるけど。"『ラヴ・ミー・ドゥー』か。ぜひやってみよう"という感じで。

―あなたは年齢的に、自分の作品を酷評され、数十年後に再評価されるのをじかに体験できた、希有な存在ですね。

ボクはアルバムを作ると、バカみたいに人の評価に耳を傾ける。ニューヨーク・タイムズ紙の批評家には『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』をこき下ろされた。最悪なのは、それを聞いて自分の作品に冷めてしまうことだ。自信も失ってしまう。自信のなさを克服しながら曲を書いたはずなのに。あまり良くないという印象が自分に残ってしまう。でも、その後救われるんだ。ちょっと前、甥のジェイがこう言ってきた。"『ラム』はボクが一番好きなアルバムなんだ"。とっくに消え失せ、肥だめの中で腐っていたと思っていたアルバムだ。そう言われて聴いてみた。"ワオ、我ながらいいね"。

―前回のシングル『ホープ・フォー・ザ・フューチャー』がヒットしなくてガッカリでしたか?

ああ。これはかなりいくんじゃないかと思っていたからね。でもそうならなかった。

―そもそもヒットの基準について、66年当時とは期待を変える必要があったでしょうか?

それを考えるのはあきらめることにした。わかりようがないからね。今回のアルバム『ピュア』もそうだ。電話がかかってきたんだ。"3位ですよ""ワオ、すごいじゃないか。売り上げは?""1万5000枚です"。ボクは内心思ったよ。"おいおいジョークだろ。1日1万5000枚だったらイマイチじゃないか"。

でも、それが今のレコード売り上げの世界なんだ。リアーナやビヨンセでもない限りね。ボクは次回作も出すけど、たくさん売れるとは思わない。出すのは自分の好きな曲が出来たからさ。そしてベストの仕事をするつもりだ。シーンは変わってしまったけど、ボクは動じない。何しろ最高を経験してきたんだから。『夢の旅人』みたいな曲で1日10万枚売ったりね。その喜びを味わった。今それを味わえないとしても、それはボクだけじゃない。同年代の連中はみんなそうさ。ヤツらはまだ結構クールだけど、時代が変わってしまったからね。

でもいいかい、ボクらは至福を味わったんだ。そりゃもう最高だったよ。

Thanks! ローリングストーン日本版

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