| レポート ビートルズ大学 Vol.37 12月20日 |
レポートと書いたもののビートルズ大学は内容が濃すぎて、とてもとても私の覚書き程度で網羅できる内容ではないので、ここではビートルズ大学の講義内容のほんの一端(本当に一端)が書かれていると思って下さい。
「今秋、2週間の取材旅行に行きました。今日はこの話をします」という宮永学長の言葉でほぼ定刻(19:30)どおり始まった ビートルズ大学 Vol.37 は23:00すぎまで3時間以上に渡って繰り広げられた。前半の2時間は日本のビートルズ史の生き証人とも言える星加ルミ子(ビートルズ大学名誉教授)をメインにした講義で、講義内容は1968年12月に行なわれた英アップルのクリスマス・パーティーの模様をこのパーティーに参加した星加ルミ子さんが語るものだった。のだが、なぜか数日前に公開されたジョン・レノン関連の映画「チャプター27」と「BED PEACE アメリカ VS ジョン・レノン」を観た感想からジョンの死に関する考察へと流れる。本題に辿り着くまで長い。興味深い話ばかりなので有難いのだが、今回初めて参加したので要領を得ず「今、何の話の途中だっけ?」と迷うことがしばしば。寝てたワケじゃないんだけどね (^^)>
1968アップル・クリスマスパーティー秘話 by.星加ルミ子 1968年12月のクリスマス・パーティーの話の前に、この年(1968年)英国に4回行きました。実は1967年12月26日に英BBCで「マジカル・ミステリー・ツアー」がTV放送されましたが、年明け(1968年1月)には日本でもTV放送しようという話が広告代理店(キョウドウコウコク(漢字不明)今はもう無い)から出て、実現に向けて動き始めました。話は広告代理店から東芝に行きシンコーミュージックに来て、私が「マジカル・ミステリー・ツアー」の買い付けに行くことになりました。ブライアン・エプスタインの死後、NEMS企画を継いだブライアンの弟クライヴ・エプスタインがビートルズ関連の権利をあっちこっちに売っていました。「マジカル・ミステリー・ツアー」の権利者(Mr.リー)に会い、交渉しましたがこれがもう思い出すのも嫌な人で(笑) 「マジカル・ミステリー・ツアー」の値段はハリウッド映画並みでした。こちらの予算をオーバーしていたので交渉しましたがまったく譲らないんです。結局、話がまとまらないまま日本に戻ってきたら「TBSで2回放送する。不二家がスポンサーに決まったよ」と言われました。この時点で買い付け出来ていないんです。なのに放送することが決まっているといった状況でした。
その後、2回目の渡英で現地の日本人ビジネスマンが協力してくれたこともあり、条件面(金額以外)の大筋の部分で折り合いがつきましたが、どうしても金額面が譲ってもらえないのです。確かに日本だけ安く売れないというのは理解できるのですが、スポンサー(不二家)もここまでしか出せないと言ってるしね...。結局、まとまらないまま日本に帰りました。その後、もう一回渡英することになりましたが解決策は無いままでした。たまたまアップルの新社屋が出来たということで行ったところ、偶然、ジョンとポールとお茶をする機会があり、紅茶と硬いビスケットを食べながらジョンとポールと一緒に青春時代によく聴いた曲やアーティストの話をしました。ジョンと私は同い年でして、青春時代に聴いてた曲やアーティストが似ているんですね。こんなにジョンと話したことはなかったし、こんなに英語で話したことは記憶にないくらい話しました。好きなことだとどんどん英語が出てくるんですね(笑) いろんな話をしましたがあまりにも話が合うのでジョンが「何で知ってるんだ?」と聞くんです。私は「FENで聞いていたから」と答えました。そのうち「今回は何の用で来たんだ」という話になり、
まだまだ続く。が正直言ってこのペースで書くには時間が無いし、辛いので後は適当に端折ります。 コメントは本原稿アップ後にまとめてレスさせて頂きます。しばしお待ちを。
Thanks! ビートルズ大学
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